集団疎開 2
列車時刻表なら!

09/05/01 特集号版
先に書いたように、集団疎開での毎日を楽しみました。小生がいた頃は食糧事情も良く、後年の話にあるような 「ひもじい」 思いは無かったです。むしろ、毎食後に 「食べ過ぎた!」 と言い合う程でした。宿の周りや、近くの丘陵に遠出するなど毎日を楽しんでいました。
宿では、自分達が親元から離れているせいか、東京から竜ヶ崎までの交通、言い換えれば当時の国鉄の列車ダイヤなどに話題が及ぶことが多かったようです。ある日、常磐線のことで、ちゃぶ台を挟んで言い合いが始まりました。論点は 「竜ヶ崎から上野までの所要時間」 でした。
今思えば、他愛のないことで、言い出したら、それが根拠もなく、言い通そうとする子供らしい頑迷さがそれぞれに有ったようです。そんな論争を飽きもせず何日もやっていました。
傍で聞いていて、我慢が出来なくなり 「そんなの、時刻表を見れば判る!」 と叫びました。
断言しましたが、裏付けが欲しくなり 「時刻表」 を送ってくれるよう父に葉書を出しました。
「検閲制度」?で、舎監は 「葉書」 の内容を把握していました。邪推していたようです。
子供にはそのようなことは判りませんでしたが、ある日 「お父さんがおいでになっているからいらしゃい」 と呼ばれたので舎監の部屋に入りました。舎監は、父に聞かせるように 「時刻表が届いてから抜け出すのではと心配していた」 と余計なことを言うのです。父は黙っていました。不機嫌な渋ーい顔でした。日頃、息子が時刻表と首っ引きだったのを知っていました。
舎監は、駅構内で悪戯したり、時刻表を取り寄せて何かを画策しそうな子供を追い出したいと思っていたのでしょう。

磯村 栄一