禁じられた遊び 1
線路に釘!.... どうなるか、確認したい!!
昭和19年3月10日未明の、あの東京大空襲で家が焼失してしまうまで、向島区寺島五丁目 (現在の墨田区東向島五丁目) に住んでいました。
家から100mもない至近のところに、東武伊勢崎線の東向島駅 (その頃は 「玉ノ井」) と踏切が有りました。現在のような高架ではなかったので踏切を渡って直ぐ傍に、寺島第二国民学校 (学校名は以前と同じ) が有ります。そこに通学していました。寺島第二国民学校低学年の頃のことです。
その踏切は遮断機付きで、白髪の強面の警手が常駐。東武電車が頻繁に通過していました。小さな子供の目線で見上げる電車は迫力満点でした。浅草向けに出発したばかりの上り電車はゆっくりと踏切を通過するのでじっくり (多分、目を皿のように、気分高揚!) と観察したものです。玉ノ井駅には停まらない急行は轟音とともに通過。時には、なん輌もの貨車を牽引するSLも通過しました。
常々、考えていました。「電車が釘を踏んだらどうなる」 でした。その日、2回実行しました。釘はペシャンコ!2回目に警手に見つかりました。「この坊主!」 と怒鳴られたので、怖くなり無意識に家に向かい逃げ出しました。子供の足です、途中で捕まってまいました。首根っこを掴まれたまま家まで連行されました。恐ろしかったです。記憶はそこまでで、父に叱られたかどうか覚えていません。
困ったことに、この悪さの癖は治りません .... 。
磯村 栄一