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〜 第7話 マーフィーの法則 〜

遠藤栄造 (2005年6月)

◆先般4月のサテライト会での講演で、インマルサット第4世代1号衛星 (INMARSAT4-F1) の打ち上げ成功について、 KDDIの専門家からお話を伺った。この衛星は3月11日、米国フロリダ州のケネディ宇宙センターから アトラスセントール・ロケットで打ち上げられ、インド洋上空の東経64度に静止、移動体向けのブロードバンドネット (Broadband Global Area Network=BGAN) を提供するとのこと。衛星の諸元・機能・サービス等の詳細については KEC発行の 「情報通信BULLETIN」 本年1月号にも紹介されているので参照願いたいが、打ち上げ時の重量6トン 、太陽電池パネルを広げると全長48メートル、アンテナ照射区域220ビームを有する巨大・高機能の衛星である。 四半世紀前にスタートした初代インマルサット・システムが僅かに数10電話回線容量の宇宙部分をリース方式で調達; つまり静止軌道上のマリサット衛星 (米)、マロッツ衛星 (欧)、インテルサットV衛星 (MCS部分) の寄せ集め衛星で構成したのを想起すると隔世の感である。

インマルサット4号衛星
インマルサット4号衛星の軌道上の展開イメージ
この第4世代の打ち上げで、インマルサットは独自調達の衛星 (第2世代以降) 10機全ての打ち上げに成功し、 現在9機を運用してグローバルサービスを提供しているとのこと。 マーフィーの法則に従えば 「起きそうな失敗は早晩起きる」 ということだから、インマルサット衛星の軌道配置 「連続失敗無し」 は、貴重な成功例と云えよう。初代マリサット衛星に始まる不死鳥の幸運が引き継がれているようだ。

◆マーフィーの法則は、さきに佐藤敏雄さんのコラム[Sugar & Salt]で話題にされた、ウイット・ユーモアーに富む 「ことわざ集」、堅苦しく云えば 「格言・教訓・警告」 のようなものだが、先般のJR福知山線の大惨事に象徴されるように、 ともすると安全・安心などの、社会の基本すら疎かになるのが人間の性。世の中の急速な進展のなかでは目睫の事象に とらわれ勝ちだが、マーフィーさんの教訓・警告を心して 「ものごとの基本・原則」 に立ち返って見るのも大切な ことと感じるこの頃ではある。Sugar & Saltの話題に”すべての人間は、うまく行かないシステムを内包している” と云う法則が紹介されている。これを 「だから人間は時には失敗をするものだ」 と解するのか?否そうではなく 「だからシステムの基本に戻って原因を追及し万全を期すべし」 との警告とみるのか?では大違い。佐藤さんの説明からは 反れるが、前者を 「ぐーたら男」 の解釈とすれば、後者がマーフィーさんのホントの意図ではなかろうか。 〜閑話休題〜

さて、インマルサットの順当な展開についても単に幸運とばかり悦んでは居られない。 マーフィーさんの警告を念頭に一層の安全運転を祈念したい。結果論ではあるが、インマルサットの今日は、 その生い立ちに遡る国際協力態勢、そして進化への適応努力の賜と見ることができよう。その背景には、いわば国際版 「プロジェクトX・挑戦者たち」 によって培われてきた英知・目配りの効いた運営姿勢をみるように思う。 この機会に些か原点を振り返り確認しておくことも意味のないことではないと思う。

◆周知のとおり、インマルサットは在来の船舶無線通信を衛星技術の導入により抜本的に改革することを目指し、 海運各国が鳩首協議して設立された。つまり、国連の専門機関/IMCO (現在のIMO=国際海事機関) での研究に始まり、 1975年から政府間会議で設立交渉を開始、79年にはユニークな政府間協力組織の 「国際海事衛星機構」 として設立をみた。
82年から上述のようにリース衛星群により第1世代システムの運用に入り、90年からは独自に開発・打ち上げの第2世代を、 更に96年からは同じく第3世代を投入、今回第4世代の展開に進んできた。サービス面でも当初は船舶を主な対象としたが逐次、 国際民間航空機関 (ICAO) や国際航空運輸協会 (IATA) などの協力を得て、技術・設備等の共通性を生かして 航空機や陸上移動体向けにもサービスを拡大し、機構の名称も 「国際移動体衛星機構」 に改称。更に世界的市場競争の 流れに対応するため、99年4月にはそれまでの政府間組織を解消して、効率的な民営形態に移行、現在は英国の ロンドンをベースとする 「Inmarsat Ltd.」 がグローバルシステムを引き継いで運営に当たっている。なお、 インマルサットは民営方式導入後も公的業務である全世界的遭難安全システム (GMDSS) を確実にするため、 政府間組織の 「国際移動体衛星機関 (IMSO)」 を存続し、その指導・監督の下に民営システムにおいて信頼性の高い GMDSS体制を維持している。

このようにインマルサットは政府間協力組織 (国際機関方式) の枠組みから始まり、 社会のニーズと共に進化してきた。先輩格のインテルサットもほぼ同様である。では何故、当初は国際機関の枠組みに なったのか? 当初から効率の良い民営方式は採れなかったのか? などの疑問を呈する向きもある。まずは、 その辺の事情から原点を振り返ってみよう。

インマルサット・ネットワーク運用室
太平洋・インド洋地域のインマルサット衛星にアクセスして
移動体通信を 中継する衛星地球局

◆これまでの話題でも触れたように、1950〜60年代に始まる米ソ間の宇宙開発競争を契機として、人類の宇宙進出に伴う 秩序確立が急務となり、国連の場で法典化されたのが、いわゆる 「宇宙条約」。人類の宇宙憲章とも云われ、新しい秩序・ ルールが宇宙の探査・利用 (宇宙活動) の舞台に導入された。衛星通信は宇宙利用の一形態であるから、宇宙条約や 関係条約・協定の規制を受けることは云うまでもない。ご存じのように宇宙条約は、フルネームを 「月その他の天体を 含む宇宙空間の探査及び利用における国家活動を律する原則に関する条約」 と云う如く、国の宇宙活動を対象にしている。 難しい話は別として、その主な題目を挙げれば;曰く”宇宙の探査・利用は万国の利益のために行う全人類的活動分野である” として、宇宙天体の領有禁止・環境保全・非軍事化・国際協力・国の国際責任・打ち上げ物体の登録管理・救助返還、 等々の枠組みを定めている。

例えば;通信衛星を軌道上に配置する場合、国連登録やITU手続による軌道位置・周波数 などの国際調整、宇宙環境対策 (宇宙デブリなどのゴミ対策も)、万一の第三者損害対策等々、宇宙活動特有の措置が 求められる訳だ。私企業等 (非政府団体) の宇宙活動については、国の国際責任原則 (すべての宇宙活動について 国が最終責任を負う) に基づき、国の許可と継続的監督の下に行うことが認められている。今日では技術・経済環境の 進展により私企業の宇宙関係事業への進出が盛んだ。国によって国内措置は異なるが、例えば企業の衛星打ち上げに対しては 一定額の第三者損害保険 (車の自賠責保険のようなもの) の付保を義務付け、損害がその保険額を超える場合には、 残額を国が補償して、国際責任を果たすことになる。打ち上げ失敗や衛星の落下等に伴う事故は希ではあるが、かつて 国際問題になったケースもある;1970年代末にソ連の偵察衛星 (原子力燃料搭載) がカナダの北部 (無人地帯) に墜落、大きな被害には至らなかったようだが、カナダ側に対し300万ドルほどの支払いで決着、と云う話しは知られている。

◆さて、上述のとおり1960年代に宇宙活動のルールは布かれたものの、当然ながら宇宙開発草創期における技術開発、 財政基盤、国内態勢の整備等十分ではなかったと云えよう。海事衛星システムについて総合的な研究を行った 国連専門機関/IMCOの報告によれば 「グローバル海事衛星システムの収支均衡は順調に推移しても運営開始から10有余年を要する」 と試算されていた。予期しない失敗・障害などを考え合わせれば、インマルサットへの出資参加にはかなりのリスクを 覚悟しなければならず、その設立・運営には各国の協働体制が欠かせない状況にあったと云えよう。1970年代に政府間協議で インマルサットの設立交渉が開始され、グローバル海事衛星システムの創設・運営の基礎が築かれた訳だが、国際交渉の 常として各国の国益・利害を巡り紆余曲折をみたことも大方ご承知のとおり。これらの難関をクリアーした当時の事情・ エピソードなどを 「マーフィーの法則っぽい」 格言・諺?と合わせて若干紹介しておこう。

(1) まず協議の冒頭において<海事衛星システムのために新しい国際組織は必要か?>と云う基本的疑問が提起された。 つまり、当時既に稼働していた 「インテルサット・システムに海事機能を相乗り」 させる案と 「海事専用の衛星システムを創設」 する案との対立である。利害得失論が白熱する中で”二兎を追うもの一兎も得ず”の諺よろしく、相乗りでは海事目的が 損なわれる恐れありとの論点が支持され、インマルサット創設の条約・運用協定の起草が開始された。当時先行していた 米マリサット計画 (軍事相乗り衛星・1976年打ち上げ) を巡る問題も条約の内容に反映され、妥協点の一つになった。

(2)<出資者の確保>と云う基本問題が起草の最終段階まで難航した。つまり、衛星システム (宇宙部分) の構築・運営に 必要な費用の分担割合 (当初出資率表) の確定である。多くの国が当時のリスクを念頭に各自の分担割合を低く抑えたい との方向にあり、出資率を満額の100%に確定する交渉は難航した。話し合いが膠着するなかで、一部の小国からボランティア の増率申し出でがあり、この”貧者の一灯”を契機に、米・英・ソ連・ノールウェーなど上位国が増率に踏切り、” 赤信号みんなで渡れば怖くない”と40か国の参加を得て、当初出資率合計100%を達成、運用協定・付属書 (当初出資率表) の合意をみた。日本は当時KDD社内に出資慎重論がありボランティア増率は困難であったが、協議データに基づく割当率を 受け入れることで一応の面目を保った。因みに、当時の上位10か国の当初出資率を挙げれば;米17.00%、英12.00%、ソ11.00%、 ノールウエー9.50%、日8.45%、伊4.37%、仏3.50%、独3.50%、ギリシャ3.50%、オランダ3.50%と云う情況であった。

(3) 1975年4月から76年9月の1年半に及ぶ各国の政府当局者・専門家達による熾烈な協議・交渉 (本会議3回、 中間作業部会3回、その他専門部会等) を経て、条約・運用協定からなる基本文書 (60箇条に及ぶ条文) が起草・採択された。 しかし、インマルサットは土壇場で、効力発生・成立が危ぶまれる事態に立ち至った。”100里の道も99里から”(90:90の法則) の憂き目である。つまり、採択された条約・運用協定は、署名開放から3年の発効期限内に発効要件 (当初出資率の合計95%の国の参加) が整わない場合には、条約・協定はお流れとなり、インマルサットの創設は日の目を 見ないことになる。そのような事態を救済する狗肉の策として、条約には 「発効期限の1年前からは参加国の自発的増率 による発効促進手続き」 が規定されていた。因みに、発効期限1年前 (78年9月) の時点で参加手続を 完了した国(注)は、 日本 を含めて僅かに8か国、批准等の国内手続中の国を合わせても22か国 (当初出資率合計約65%) と云う状況で、 発効要件の達成は危機に直面していた。

そのころ最大出資国の米国は、漸くインマルサットへの参加体制 (国際海事衛星電気通信法等の国内措置) を整えて、79年春に条約 (米政府) と運用協定 (コムサット) に署名して 正式に参加の手続きをとった。と同時に、コムサットは上記の発効促進規定に従って、当初出資率引き上げ (17%から30%に) の手続も行った。この大幅引き上げに対抗したソ連などからも増率手続きが採られた結果、条約・協定は発効期限を待たず 1979年7月16日に発効、インマルサット機構の発足を迎えることができた。この米側の大幅増率に対しては、バランスを 欠くとの反発の声が上がり、その後の調整は混乱をみたが、結局妥協として米の当初出資率を23%に調整・落着した。 この騒動はご想像のとおり、各国の当初出資率が理事会での議席権・発言権につながる機微の問題を含んでいるからである。

(注)日本は1977年中に手続きを完了している。即ち、1977年3月の閣議決定により政府は 「受諾を条件」 として条約に 署名、政府の指定を受けたKDDが同年4月に運用協定に署名。その後の内閣法制局審議・国会 (外務委員会) 審議等を経て、 同年秋の臨時国会で 「条約締結承認」 が議決 (衆参とも全会一致) され、同年11月IMCO事務局長 (基本文書の寄託者) に受諾通告が行われた。
KDDI山口衛星通信所
KDDI山口衛星通信所
太平洋・インド洋地域のインマルサット衛星にアクセスして
移動体通信を中継する衛星地球局

◆以上見るように、波乱の船出ではあったが、多くの国の希望と専門家の知識を凝縮したインマルサットは、1982年2月から 初期システムの運営に入り、前記IMCOの研究報告における予想よりも早く85年には創業赤字を解消して、出資者 (指定事業体) に対し配当を開始、財務状況 (当時の配当率凡そ10〜15%) は順調に推移した。初期システムの宇宙部分をリースで調達した戦略 (打ち上げリスクを避け、バックアップ体制確保の安全運用) が功を奏したこと、特に1976年から前駆的システムとして 世界の船舶にサービスを開放していた不死鳥・米マリサット衛星の暖簾を引き継いだ、いわゆるM&A (吸収合併) が 初期インマルサットの財政基盤に寄与したことも間違いない。
インマルサット4号衛星に至る成功を祝し、蛇足駄文ながらインマルサット創設当初の想い出を 振り返ってみた。そのDNAを引き継ぐ今日のインマルサットが本来の使命を軸に、更なる業容の拡大・多様な展開を遂げるよう 期待したい。勇み足になったICO中高度衛星システムの例もあるが、伝統的国際協力態勢の強みを生かし、 マーフィーの法則にも則り、さらなる進化に向け関係各位のご健闘をお祈りしたい。
掲載の写真は、サテライト会幹事 遠藤静夫氏・KDDI-NSL社MSAT担当 千葉榮治氏 のご協力による、多謝。