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ワールドカップのボランティアに参加して (前編)

k-unet 世話人
樫村 慶一

「ボランティアに参加した動機」
これほどまでに全国が熱狂したイベントは、長い人生の中でも、1960年の安保反対闘争以来経験がない。そして今後100年は日本での開催はないだろうなど言われている。それだからボランティアに応募したと言うわけではなく、最近とみに出不精になりがちで、趣味と実益を兼ねたスペイン語を使う機会が減ってきたので、これに参加すればスペイン語圏からやってくる大勢の選手団やサポータ達と出会う機会があるだろう、生活に変わったリズムができるかもしれないなどと言う単純な思惑が動機であった。
JAWOC(日本組織委員会)が募集したのは全国で約1万人だが、応募者は2万5000人余りもいたようで、選ばれたのは多少幸運だったかもしれない。この他に、試合のある道府県が独自に募集した人数を加えると、相当のボランティアが活動したことになる。ボランティアの構成は、約80%が若い女性(少しは40台に近い人もいたようだが)で、残り10%が若い男性、残り10%が定年を過ぎて時間のある、私達のような小父グループところであろうか。
MAC(後述)はパソコンができることが条件だったので、小父さん達はそれなりに話が合って、メル友ができたのも収穫である。我々は、1食290円とかの刑務所並の不味い弁当とユニホームだけで働いたのだが、それを承知で応募したのだから、文句を言う者はいないし、結構楽しく過ごした。ユニホーム類は帽子からスニーカまで含め3万円とか4万円分とか言われたが、デザインがシンプルで普段に着たり履いたりできるのでいい記念になった。
「ボランティア活動の中身」
私はJAWOC本部の「國際メディア・センタ(メイン・プレスセンタ、國際放送センタ、資格認定証発行センタ(MAC)の3センターで構成された)」の中のMACで資格認定証(ADカード)発行の全てのセクションで活動した。去年の夏から大掛かりな講習会や訓練を受けて実務にはいったのだが、やってみれば精々1〜2日くらい実地で訓練をすれば、できるような仕事であった。ADカードとは、テレビでもご覧になったように、例の首からぶら下げるカードのことである。
これには写真の他に、入場できる場所の番号が書いてあって、この番号の場所以外は、どんな場合もガードマンに入場を阻止される。我々本部ボランティアでも競技場には絶対に入れない。日本人・外国人を問わず、選手、役員、テレビ・ラジオ・新聞関係者などは、先ずMACへ来て、パスポートとか運転免許証などを提示し、パソコンに予め登録してあるリストと対照して、本人であることを確認されれば発行手続きをする。
まず写真を撮るのだが、カメラはエプソンの玩具のようなディジカメで、おそらく画素数などは10万か20万くらいではないだろうか。ズームもトリミング機能もない。顔を丁度良い大きさにするため、モニター画面を見ながら、三脚ごとカメラを引いたり押したりして調節しなかくてはならない。しかも最も原始的なのは、昔のカメラ宜しく、3秒間動くなと言う事だ。カメラ自体にメモリー機能がないので、CCDが捕らえた画像を直接パソコンに転送するため、途中で動くと顔の一部が歪んでしまうからだ。その上プリントが出てくるのに30秒以上かかる有様だ。
とにかく団体が一度に来た時などは大騒ぎである。こうして出来上がった、ぶら下げ用カードを手にして、初めて全ての活動が始められるわけである。ただ、選手団のように大勢に一度に発行するのは大変なので、選手団のキャンプ地にこちらから出張して発行する事も多かった。
「丸見えのプライバシー」
日本のテレビ局で年中見ているキャスター達が殆ど来た。有名キャスターが来た時に、勤務していると色々な人に会え、登録ファイルからその人のプライバシーを知ることができる。Kさんは、本当は何歳なのかファイルで検索したが、結婚して苗字がテレビに出る名前と違うのでファイルが開けなかったが、Nさんは、旦那が有名スポーツ選手なので、その苗字で検索するとちゃんと出てくる。生年月日、住所、電話番号、本当の所属などが一目瞭然だ。
私が一番早く発行した人は、NHKのHキャスタで、5月の初旬にやってきた。この人が最後までNHKの番組の司会をやっていたが、折角作ってやったカードを、テレビでは一度もぶら下げていなかったのが残念である。大体、男のキャスタ達はこうした所にくると、むっつりしているか、横柄な人が多いようだ。或るキャスターなどは、受け付けの順番を待っている間から、処理が遅いと文句たらたらで、運転免許証のコピーを取るのにも何で取るんだとか、思わぬ所で人柄が知られてしまう。
そこへ行くと、陽気な川平慈英などは、最初から大声で駄洒落を飛ばしたり、カードをテレビに出る時付けて出ようかな、とか、テレビで見るのと変わらぬひょうきんさであった。

後編に続く


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