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KDDでバイトしたことで 人生の転機 -- その3

そこでの私の仕事は複雑な図面のコピーとか、議案書や議事録の清書とか、職場の皆さんが会議中のときの電話番とかであったが、受話器の向こうから英語で話しかけられる時は本当に困った。当時の文書はほとんど手書きで、最初は何が書いてあるのか内容は分からなかったが、日一日と清書を続けるうちに、私の係わっている内容は壮大な規模の仕事なんだと気付いて、ますます興味が湧き会社に行くのが楽しくてたまらなかった。
(後に、この事業が完成して昭和三十九年六月に太平洋横断ケーブル開通式が帝国ホテルで行なわれ、池田首相とジョンソン米大統領間でメッセージ交換がなされた。国際通信の新たな時代がスタートした訳で、この時の帝国ホテルでの式典の受付のお手伝いもさせて頂いた。)
臨時職員一年半が過ぎた頃、臨時職員六十数名を対象に、社員登用試験を受けるチャンスが与えられた。会社は四月採用時以外は社員の採用はしていなかったが、始めて、労働組合の力で、臨時職員が社員同様以上に働いていることを問題にして、社員に登用するよう働きかけをしたのであった。今回始めての社員登用で不都合や問題が起きたら、次回からの登用試験は出来ないという条件での試験で、募集職種は受付二名、PBX(社内交換)三名計五名であった。
私は絶対社員になりたいと思いPBXを希望で試験を受けた。試験は筆記と面接。PBXという職種は相手に姿を見せなくて良い。私の声はPBXに向く声ではないが、声は発声練習と真心を込めての対応に心がけようという気持ちで面接を受けた。
その4 に続く


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