KDDでバイトしたことで 人生の転機 -- その4
面接官は板野総務部長(後に社長)だったが、突然、「受付は嫌か」との問いがあり、私ははっきりと答えた。「受付は何処の企業でも、容姿端麗の女性というイメージがあるため、今の私はどうみても容姿端麗とはいえません。それでPBXを希望しました。今の私の声は発声練習してPBXに相応しい声になるよう努力します。」その時総務部長から「PBXは嫌か」「嫌でありません」ととっさに口から出ていた。その後、私の気持ちは複雑であった。試験の結果、受付に採用された。どうして私が受付に採用されたか不思議でならなかったが、社員に成れたことがどんなに嬉しかったか。確かにKDDの社員になれたんだ、これからが私のがんばりが発揮できるんだ、と胸を膨らませて受付業務に専念した。受付業務ではたくさんの人生勉強もさせて頂いた。
受付業務を体験後、社長室総務課、KDDビル(三十二階建てが新宿にオープン)管理部、営業など幾つかの部署に配属されたが、それぞれにがんばって楽しい仕事を続けた。営業成績トップを続けて四半期毎に頂いた表彰状もずいぶんの数に達している。
平成十一年。営業総括課長を最後に定年退職を迎えたが、KDDに勤めて三十八年の間には、結婚、出産、三人の子育てなど、仕事と両立させながら、一言では表現出来ないほどの困難もあり、書き残しておきたいような出来事も沢山あった。
国際通信の進歩発展は飛躍的なものがリ。会社も私が入社した当時とは比べものにならないほど大きく成長した。国際通信会社躍進の絶頂期にKDDで働かせて頂いたことを感謝しながら、現在は三十八年間勤務したご褒美でしょう、年金生活で健康第一、週一ゴルフに、孫との楽しい日々を過ごしている。