このごろ思うこと (3)

銀乃 川太郎

 私にとって昨年(2007年)は古希になり、妻の歳と合わせて丁度百五十歳と言う区切りの良い年でもあったので、年賀状に“賀状の交換は今年を以って終わりにしたい”と言う文言を盛り込んだ。暮の作業が一つ減ったと思ってはいたけど、さて、元日のポストの中はいかがなものかと、半分興味を持って覗いて見て驚いた。例年と余り変わらない厚さの賀状束がはいっているではないか。正月に受け取った賀状の文面までは覚えていない方が多いようで、歳のせいもあるだろうし、訃報以外は年賀状リストのメンテを余りやらないためでもあるのかもしれない。なかには、「そちらが止めたのは了解したが、当方からは生きている証拠に今後も出します」と言うご丁寧なものもあった。これじゃ来年は復活すべきかなどと洩らしたら、妻に、「それが貴方の物事に優柔不断な一番の欠点だ」とぴしゃりと言われた。現役時代に、とっくに亡くなった上役に言われたことを思い出した。彼は人をよく見ていたなと改めて感心した。お年玉が例年は四等が数枚は当たるのに、今年は1枚も当たらない。1枚も出してないのだから当たり前といえば当たり前の話である。
 ところで、私は四月一日生まれなので三月末で運転免許証の有効期限が切れる。早々と交通安全協会から検定を受けろと通知がきた。しかし、五年前に千葉から今の目白へ越してきたときに自動車は処分し、今後も乗ることはないので、免許証の更新はやらないことにしようと思っていた。ところが近年はなにかというと「本人確認」と言われる場面が割合多くあるので、そのためには免許証が一番ふさわしい物と思っており、免許証に代わる手段はないものかと思い悩んでいた。そしたらあったのである。
 その名は「住民基本台帳カード」という国が発行する身分証明書である。国が発行する身分証明書は、アルゼンチンに駐在していた頃は毎日身につけていた。永住ビサで住んでいる人間は国籍を問わず携行してなくはならない。生まれたらすぐに番号がつき、一生に三回写真を張替えて更新する。これがないと、それこそ一日も生きていけないだろうと思うほど、提示する機会が多い。選挙などではこれに投票済みのシールを貼って、これがないと税金が高いとか、社会的サービスが受けられないとか、棄権するといろいろと不利なことが生じる。怪我人や行き倒れなどはすぐに身元が知れるメリットもある。
 早速区役所に問い合わせたら、まだ持ってないのかと言われた。社会的制度や習慣などには、一応の常識は持っていたつもりだが、この住民基本台帳カードは盲点であった。区役所の係りに、「持っている人が少ないのに、何故もっと宣伝しないのか?」と言ってやったら、制度が出来た頃は、随分やったけど、今はやらないのだとのたまわった。そう言えば、国民総背番号制度はプライバシイがどうのこうのと、訳の分からない奴らまで反対していた記憶がある。
これが本来の身分証明書で、本人確認などのときの正式な証明である。運転免許証が本人確認にはもっともふさわしい物と思われてるが、あれは本来は代替品なのであると説明された。そういわれればそうかもしれない。五00円と写真(4.5cm X 3.5cm)で日本国中どこの市区町村役場でも発行してくれる。有効期間は歳に関係なく十年間である。免許証は七0過ぎたら三年しか使えないので、もう乗らないと思う人は、是非このカードをお持ちになることをお勧めしたい。もっとも知らなかったのは、私だけだったなんて、とんだ恥さらしをしているのかもしれない。   (2008.1.29 記)

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