(1) KDD-OBによるパソコン・ネットワーク構想について、遠藤栄造さんから初めてお話を伺ったのは1997年の初め頃だったでしょうか、サテライト会幹事会の折の雑談中のことだったと思います。OBの連絡網として、パソコン・ネットワークを作ってはどうかとの声がある (藤原正明さんのお名前が挙げられたと記憶) とのことでした。電子メールを活用した連絡網をイメージしておられるとの印象でしたが、小生からは、”どうせなら、ホームページを立ち上げてはいかがですか”、と申し上げた記憶があります。確たる具体案の伴わない、その場の思い付きでしたが、その後、遠藤さんを始め、姫野さんや石田正人さんらの絶大な実行力のお蔭で実現するところとなりました。
(2) 一方では、ホームページ維持のための少なからぬ作業が生み出されたわけですが、ボランティア精神旺盛な方々のご努力で今日の隆盛を迎えていると言っても過言ではないと思います。 草創期のホームページ充実に向けた取り組みでは、様々なアイデアが交錯し、時には甲論乙駁もありましたが、石川恭久会長・遠藤運営委員長の下、概ね適切に運営されてきたと言えるのではないでしょうか。
(3) 小生も微力ながら、「掲示板」・「k-unetリンク集」・「写真掲載コーナー」 (現「会員の広場」) などを発案し、開設・運営にも参画しました。「掲示板」での最初の企画「リレー投稿」 (各回の投稿者が次回投稿者を指名) では、最初に投稿をお願いした方 (長老のお一人) になかなか引き受けてもらえず、石川会長に口添えをお願いしたこと、投稿を指名された方が海外出張のため連絡が付かず、1ヶ月以上も穴が開いたことなどが思い出されます。なお、ホームページの充実・拡大に向けて尽力された石田さん、その後に参画され、ホームページの運営で中心的役割を担われた磯村栄一さんの貢献を忘れてはならないと思います。
(4) 最後に、この種の同好会を維持・発展させて行くには、できるだけ多くの方々が順次、運営当事者として参画する (例外を除き、幹事役が適宜交代する) システムにすることが重要との持論を述べさせていただき、終わりとします。
(1) 設立
設立に当たっては、そのイ二シアチブを取られた遠藤さんとは、日本ITU協会主催のITUクラブ例会でお会いする機会が多く、同氏から同友会の中にパソコン・サークルをつくり会員間の情報交換や交流等を図ってはとの構想があるが参加しないかとの勧誘を受けました。小生はこれに賛同し、協力させて頂くこととなりましたが、その後20名位の有志の方々とKDDビル等で再再、準備会合が開催されました。
(2) 準備内容
まず同サークルに是非とも必要なホームページを立ち上げるための試行案が石田さんが中心になって作成されました。当時は、暗中模索で研究・試作の繰り返しであったと思いますが、その後何回かの改善がなされ、立派なホームページに成長したことに敬意を表したいと思います。
(3) 円滑な会活動の組織化
サークル活動を円滑に進めるために、10名程度の世話人が選出され、小生はホームページ・グループに参加させて頂き、主に石田さん、磯村さんから技術的指導を賜ったお陰で、自分自身のホームページ立ち上げの助けにもなりました。
(4) 会員増キャンペーン
毎年開催される恒例の同友会懇親会において、ノートパソコンでの応用デモンストレーションの実施、勧誘チラシの配布、同友会会員への直接勧誘など、世話人全員でキャンペーンを積極的に行ったことが思い出されます。
(5) 世話人会会合
当初、会合は主にKDDビル内会議室で開催され、会合を重ねる毎に函嶺山荘や石川さんや石田さんのご好意により、それぞれの別荘においても開かれました。会場にはパソコンが数台持ち込まれ、多彩なホームページの改善施策、試行が行われ、ボランタリーとはいえ、結構楽しい雰囲気で成果を上げ得たのではないかと思い出されます。
k-unet新会員の勧誘に関して私個人としては、KDDOB/OGは現役時代にコンピュータを駆使?して仕事をやってきた人が多いのだから、即k-unetの会員になってくれるのではないかと楽観視していました。ところがあに図らんや! 意外に多くの人、特に電信関係や電話関係のOB/OGの方々から、「これまでのキーボード生活からやっと解放されたのに、今更キーボードをいじるのはもう沢山!」と云われました。今では事情も大きく変わったと思いますが、当時のキーボード・アレルギーが専門家の中にもあったというお話です。
1997年のいつ頃だったでしょうか、遠藤さんの主導でKDD OBのパソコンクラブ設立についての会合が持たれていました、参加者の顔ぶれは古橋好夫さん、石川さんをはじめ10余名のKDD OBでした。何回目かの会合の場で愈々自前のホームページを作ろうと言う事が決まり、当時自分のホームページを作っていた関係で小生が担当する事になりました。直ぐその場から佐藤秀夫さん並びに姫野さんと、KDDの関連企業でありKDD OBの加入が多かったプロバイダーであるKCOMの山本英雄社長を訪ね、利用条件などで絶大な協力を得ることができました。感謝しています。
k-unetのホームページが誕生したのはその数日後の事で、今でも懐かしく思い出されます。
KCOMにk-unet ホームページを掲載するまでに何度も函領山荘に泊り込みで勉強会を開いたこと (1998年だけでも7月、9月、12月の3回) が思い出されます。翌年には石川会長 (当時) の那須の別荘も加わりました。参加者は石川さん、石田さん、磯村さん、伊藤勉さん、小畑さん、久保勝一さん、高岡久枝さん、佐藤 (秀) 、等でした。
前編で遠藤さんが紹介されていますように、会員ではありませんでしたが、設立前のパソコンクラブのお手伝いをしたことが鮮やかに思い出されます。何か因縁を感じます。
KDDを卒業後、日本移動通信株式会社 (IDO) に勤務。現在、携帯電話の主流となっているCDMA方式の導入に力を入れておりました。パソコンはNECの8001を皮切りに9801、マックといじり回していましたが、まだ外付けモデムを使って電話回線に接続する時代。社内でパソコン通信イントラネットが始まったばかりだったと思います。
1998年1月、同友会の懇親会が新宿の厚生年金会館で開かれましたが、遠藤さん達から地下会場に電波が届かないのだが何とかならないかとの打診がありました。色々考えましたが、IDOの携帯電話も加入者がまだ150万人程度、電話機も大きな電池を積んだショルダーホンしかない時代です。電波増強のための増幅器なども手軽には入手できません。そこでKDD関連企業であるアステル東京の岩本喜直さん (現k-unet会員) に依頼してPHSのブースターとアンテナを借用しました。これを会場ロビーに下りる階段の天井部分に設置して電波が届くようにしたところ、大いに喜んで頂きました。
今思えば、会場前に机を並べ、ポスターを貼って熱心に会員勧誘をしていたのがk-unet準備会の方々で、まさしくパイオニア的活動をなさっておられたのですね。
(1) 準備会合へのお誘い
清水さんや小畑さんから懐かしい思い出話を伺い、改めて感慨を深めました。準備会合の立ち上げに向けて1997年の初め頃から、私はいろいろの機会を捉えて旧知のOB各位にアプローチしていました。清水さんとはサテライト会の幹事会の機会にご相談したこと、また小畑さんとはITUクラブの月例会でお会いしお誘いしたことなどを思い出します。さらに、ゴルフ仲間の伊藤幸三さんや関正春さん (残念ながら昨年末他界) とはプレイ中のパソコン談義から準備会合に加わって貰ったと云う次第でした。
そのような中で、私が最初に相談を持ちかけたのが、永田秀夫さんと藤原さんであったと思います。藤原さんは、清水さんご指摘のように、地元でパソコン教室を開いているほどのベテランでして、いろいろと示唆を受けました。準備会合への参加を期待した訳ですが、ご都合の関係か?殆ど出席願えませんでしたね。
前編で大先輩の古橋好夫さんについて触れましたが、古橋さんの準備会合参加のきっかけは、実は藤原さんとの関係からでした。つまり、古橋さんはベテラン藤原さんとは既にメル友関係だったわけで、藤原さんを通じて当方にもメール連絡があり、準備会合にお誘いしたと云う次第です。なお佐藤代表の最新情報によれば、古橋さんはご健在の様子、悦ばしい限りです。このように当時はメールでも互いに誘い合い仲間の輪が広がって行ったと思います。
(2) メール談義
小生は1996年春、メーカー系列のパソコン教室に通いWIN/95のデスクトップを立ち上げました。早速当時のパソコン通信 (eメールの前段階) により米国の友人にメールを送ったところ、翌朝には返事が届いており、その威力に驚きでした。同友会パソコン網の構想は、この感激から生まれたと云えましょう。
恐らく準備会合の同志も同じような思いを持たれていたのではないでしょうか。会合の都度、メールの文字化け対策とか、パソコン操作をめぐる談義で賑やかでした。k-unetの正式発足までに1年もかかった訳ですが、この準備会合は既にパソコン同好会の実験でもあったと云えましょう。
(3) 組織の裏方
k-unetはベテラン・ボランティアの努力で、美しいホームページを飾り、会員にアッピールしていますが、パソコン同好会の組織としての運営には、会計や庶務 (会員関係や同友会関係を含め) などの裏方の活動の重要性は云うまでもありませんね。これらの舞台裏を担当し道筋を付けてこられた当時の同志各位にも改めて敬意を表したいと思います。
以上
先ごろ掲載の前編に続き、当時関わってこられた多くの先輩方にご意見を伺い、思い出話をして頂きました。後から参加した若輩としては、ご苦労をされた多くの方々のご意見を参考に、新しいスタイルの楽しいクラブにしていきたいと思います。今後とも皆様方の絶大なるご協力をお願い致します。
なお、10年も前の話で、皆さんの思い出に勘違いや誤りがある可能性もあります。お気付きの方、あるいは更なる感想をお持ちの方は、editor までご遠慮なくお申し出下さい。