k-unet 10周年記念 ネットインタビュー
16号・前編
--- 遠藤栄造さん ---
本年は 「 k-unet 」 の設立準備会合から数えて丁度10周年に当たる記念の年です。 そこで、このクラブ設立の経緯を振り返る企画を立てました。 先ずこの前編で、設立の経緯、苦労話や今後に対する思い等について、準備会合の座長を勤められた遠藤栄造さんに語って頂き、ホームページに掲載後、後編において当時の有志各位の思い出話や感想などを伺っていきたいと思います。
(インタビューアー: 鎌田光恵)
Q1.パソコンサークルを創ろうと云う声が上がったのは、いつ頃でしょうか?
パソコンサークル結成のきっかけになったのは1997年の年明けのことと云えましょう。当時の同友会会長・鍛冶弘さんから拙宅に電話があり「貴方が提唱しているパソコンサークルは結成されましたか?」との突然のお尋ね。実は前年(96年)秋に発行された「KDD/OBだより」の会員投稿ページに、私は「ボケ防止にパソコンをはじめたこと、そして同友会連絡網の一環としてOB間にパソコンネットワークを結成しては如何か」との趣旨の拙文を掲載していました。鍛冶さんからの電話で、パソコンネットに対する期待を感じたわけです。ご承知のとおり、当時はWIN/95ブームでパソコンが急速に普及しはじめており、一方KDDを取り巻く競争環境の下で同友会へのKDDの経済的支援打ち切りや同友会事務局の縮小などもあり、パソコンネットが同友会連絡網の強化やコスト削減にも繋がればとの思いがありました。
Q2.1998年春には k-unet の結成!どのような経過でしたか?
鍛冶さんの問い合わせに触発され、言い出しっぺの責任を感じた小生は、早速有志の糾合をはじめました。幸い賛同者が次第に集まり、その年(97年)の春から、KDD新宿ビルの会議室等を利用して大先輩の古橋好夫さんはじめ技術系・業務系の0B併せて10名余が集まり準備会合を重ねたわけです。習いたてのメールでも連絡をとり合い、活発な意見交換をおこないました。
凡そ一年を経て、会則・組織などの案を固め、またベテラン石田正人さんの手でホームページの試行版も立ち上がり、98年4月23日いよいよKDD目黒ビル6階の会議室で設立総会の運びとなりました。同友会からの来賓(当時の村岡理事)も迎え、総会に続いて同レストラン「ワンダフル」で祝賀パーティを催し、目出度く k-unet の結成をみた次第です。当初の世話人は準備会合で活躍した有志がボランティアで分担し、会長には名望ある石川恭久さんが就任(古橋さんは辞退)しました。
なお、会の運営体制としては、事務局方式とする案もありましたが、パソコンサークルは、普通の同好会とはやや趣を異にし、ネットワークの構築・運用と云う作業実態を担う機関として「運営委員会」の方式を採り入れました。世話人の互選で当初の運営委員長に遠藤、副委員長に石田さんを選出。つまり準備段階での取りまとめ役の関係から、組織のスタートに当たってもう暫く頑張れと言うことでした。何れにしても本年は、準備会合のスタートから数えて丁度10周年目に当たる記念の年。今日の盛会を見るにつけ感無量!!
Q3.サークル名 「k-unet」 の由来は?
格別に名称募集などは行いませんでした。たまたま私が提出した会則試案の中で「 k-unet 」の通称名も提案しており、異論なく決定を見ています。
この名称のヒントになったのが同友会サークルの「友歩会」という名だったと思います。つまり「KDD同友会パソコンネットワーク」の略称として「K友ネット」、その文字列として「 k-unet 」が浮かんだ次第です。手前味噌ですが、割とユニークなネイミングになったように思っています。ただ気がかりなのは、この名称が他の組織との競合問題にならなければと願うことです。商標登録などによるプロテクトが望まれるでしょう。
Q4.会の目的・活動の方向などについては、どのような議論がありましたか?
会の目的・活動の方向性は、今と変わっていないと思います。つまり、パソコン網の構築・運用、会員間の情報交換・交流・親睦の増進、パソコン知識の向上などを目標にしました。準備段階での議論のなかでは、パソコン・IT技術の研鑽を深めたいとする意見もありましたが、会の方向としては、KDD/OBの幅広い集まりとしてベテラン・初心者が共に集える場にしたいと云うのが早い段階からの共通認識でした。
ご承知のように、パソコンは本来誰もが操作・活用できるように考案された道具ですが、電子機器として当然ながら技術系の同志にベテランが多いわけで、ホームページの構築やパソコン操作の研修などでは技術系の有志が活躍しました。勿論例外もあるでしょう。例えば、準備会合で活躍し、その後スリランカに移住した姫野さんは業務系だと記憶しますが、当時からのIT専門家で、現地スリランカではプロバイダーを運営していると聞き及びます。何れにしても、 k-unet はベテランと初心者がそれぞれの持ち味を発揮し協力し合うのが伝統になっていると云えましょう。
Q5.会員数は、はじめ何人での発足でしたか? 将来の予測などは?
設立総会の時点では50名ほどの会員登録があったと記憶しています(総会の記録では54名)。会員募集には準備段階からいろいろと苦心がありました。OBの集まりなどを利用して案内ビラを配り、勧誘に努めました。特に98年1月の同友会パーティに際しては、インターネットの実演を披露し、大いに関心を集めて、発足時点での会員確保に寄与したことを思い出します。その時のエピソードを一つ;
その年の同友会関東地区懇親会は、新宿厚生年金会館の地下ホールで2日間(技術系OB・業務系OB)に分けて開かれました。同友会の協力を得て、ホール入り口のロビー一角に「実演コーナー」を確保。パソコンの設備やwebページの準備は石田さんが、会員募集案内ビラの作成を久保さんが担当。最大の難関はオンライン実演のための電話線の確保でした。会館地下には外線の引き込みがなく、臨時回線の設置にも時間とお金がない。
そこで当時IDO(日本移動通信)の技術顧問で活躍中の佐藤敏雄さんにケイタイによるオンライン接続の可能性を打診したのです。佐藤さんは早速現地調査の上、PHS接続がベターと診断。当時のKDD関連企業のPHS会社「アステル東京」が紹介されました。同社から、機材とともに2名の技術者が会場に派遣され、地下の実演コーナーを結ぶため階段の途中にPHS中継ブースターが取り付けられたことも覚えています。
綱渡りの準備でしたが、2日間にわたる懇親会当日、見事に「インターネット体験の実演コーナー」を実現。パソコン設備の展示やインターネットwebの疑似体験コーナーとともに、大いに面目を施した次第です。佐藤敏雄さんはじめ外部からの支援・協力には感謝感激でした。同時に懇親会会場では、準備会合の有志により、案内ビラ配りなど各個撃破の入会勧誘も行われて申込は予想を上回る情況でした。その春の k-unet 発足時点での会員50名確保は、この作戦に預かるところ大であったと思います。その時の佐藤さんが現在 k-unet の2代目代表として頑張っておられる訳で、機縁を感じます。
会員数の将来予測は甚だ困難でしたが、当時同友会サークルの中で100名を超える会員数を誇っていた友歩会を抜くことを当面の目標と考えました。パソコンの普及に伴い、また k-unet 有志の周知活動のお陰で、会員数は漸増し、発足2年目に入り100名を突破。その時は、記念にスリランカ宝石(姫野さん寄贈)を100番目の入会者(遠藤静夫さん?)に贈呈したのを覚えています。(2007/02/28現在の会員数:393名)
Q6.発足当初の運営で問題など発生しませんでしたか? 例えばKCOMの利用など。
未経験分野の手探り運営ですから問題は多岐にわたりましたが、メンバーの英知と努力で切り抜け、初期の目標に向かって具体化していったと思います。
主な問題点を振り返って見ましょう:
(1) ホームページのコンテンツの充実
k-unet の表看板であるホームページを如何に充実し、バラエティを持たせるかは永遠の課題かも知れません。当初は有志による独自取材・投稿に頼らざるを得ない情況が続いていました。コンテンツの乏しい中でも、掲示板(楽書ボード)の管理を担当していた清水恍平さんの企画による、会員の持ち回り投稿「OBだより」は、会員同士の情報交換・近況報告としてOBネットらしい交流でした。年賀状コンテストも行いましたが、応募が少なく盛り上がりに欠けた憾みがあります。この点近年のコンテストは盛会になりましたね。
また、発足当初からの懸案であった訃報情報については、早い段階から同友会速報との関係で石川さんがメールの同報発信を担当し、またホームページの訃報欄でも速報されて、 k-unet の目玉的サービスになっていました。
(2) 運営費用の問題
云うまでもなく組織運営とお金は切り離せない問題です。世話人は手弁当のボランティアが前提、つまりパソコン等の機材費・通信費・交通費などの殆どを担当世話人の自弁で賄い、 k-unet 自体の経費節減が図られてきたのは今日と変わらない情況でしょう。しかし、プロバイダー加入料をはじめ会場費・事務費など運営上不可欠の経費も多い訳です。
プロバイダー費用について云えば、当時KDDの関連企業として発足したKCOMは、KDD/OBメンバーの加入が多いこともあり、 k-unet はいわば身内の関係としてKCOMをプロバイダーに選定・加入しました。そしてKCOMの協力により当初の試行期間(半年?)は加入料・無料、その後も月額500円程度と経済的に助けられたと思います。その後KCOMの廃業に伴い、2006年、ロリポップに移行し今日に至ることは先刻ご承知の通りです。
(3) 収入の確保
運営費用を賄うための収入の確保についても真剣な議論を懐かしく思い出します。
先ず会員から収納する会費については、入会金の他に年会費を設けるかどうかが議論になりました。しかし、多数の会員確保・維持の観点からは会員の負担は大きくできません。結局、入会金1,000円(同友会会員の場合)のみと割り切り、年会費は設けないことにしました。もっともイベント毎の参加費はその都度収納するものとし、この関係では研修参加費は当初から500円と決めました。
次に幸いなことに、 k-unet は同友会の傘下と云うことで同友会からサークル活動の補助を受けることが出来ました。早速初年度末にはサークル補助費の請求を行い、新年度早々数万円が支給されて、大きな活動資金になったと思います。もっともKDDの3社合併の前後には同友会の解散消滅などの風評が流されて、 k-unet 内にも若干の動揺を見ましたが、平穏に今日に至ったことは悦ばしい限りです。(その後、同友会の経費節減策の一環としてサークル活動補助費の見直しがあり、2005年9月以降支給額は半額になりました)なお、サークル補助費の算定基準については同友会に改訂を申し入れたことがあります。つまり規定の算定基準は、実働人員(例えば;会合などの参加人数)をベースとしており、 k-unet の活動態様(オンライン活動)にはそぐわない面があったからです。何れにしても同友会補助は有り難い収入源でした。
次に大きな議論になったのが、広告問題。 k-unet の財務体質強化の一環としてホームページに広告を掲載する案が取り上げられたのです。早速有志の肝煎りで、新宿ビル地下の理髪店や近くの居酒屋の広告が掲載されましたが、その是非を回り議論が展開されました。つまり、親睦団体(任意団体)である k-unet の収益事業への進出には問題があることが指摘されたのです。結局、解決策としてKDD・関連事業のお知らせの類を掲載することに留め、その掲載料は賛助会費(会則上の)として扱うものとしました。
(4) 同友会との連携
最後に、また最も心残りなのが、 k-unet 発足のきっかけであり、また当初の目論見でもあった「同友会との連携」すなわち「同友会情報網としての活用」の面で k-unet は十分に機能してこなかったことが指摘されます。同友会事務局機能の縮小などで、やむを得ない情況もあったわけですが、同友会情報・ニュースなど、例えば、幹事会の速報などは、もっと k-unet 網に流れても良いのではないかと考えさせられるところです。
以上、お尋ねに応じて、 k-unet の発足事情等を振り返ってみましたが、記憶違いもあるかと思います。諸兄姉のご叱責・補足など頂ければ幸いです。
編集後記 鎌田光恵
「もっとパソコンが上手になりたい」と思って k-unet に加入して以来、多くのことを教わりました。しかし、いつまで経っても知らないことの山は厳然とそこに聳えています。
今、先輩からサークル創設時の苦労話を伺って、 k-unet がパソコンの高い技術を有する人からビギナーまで誰でもが寄って楽しめる会にすることをモットーとしてきたありがたい会だと知りました。 後編では当時を知る有志の方々にお話しを伺って参ります。