ネットインタビュー (14)

暗礁に乗り上げている準天頂衛星プロジェクト
--- 敗軍の将、兵を語る ---

今月は1998年〜2006年4月までの8年間、KDD時代の経験を買われ三菱電機 (株)に籍をおいて、準天頂衛星システム実用化に向け奮闘された遠藤静夫さんにお話しをうかがいます。

Q.1 計画がスタートしたのはいつ頃?

準天頂衛星軌道面

本プロジェクトは、1970年代から当時の郵政省電波研究所 (現独立法人情報通信研究機構) を中心に基礎研究されてきた準天頂衛星システムの実用化に係わるものです。本システムを実用化すべく、経団連の主導のもと、事業化を検討する新衛星ビジネス株式会社が2002年11月に設立されました。発起人は、三菱電機 (株) 、 (株) 日立製作所、伊藤忠商事 (株) 、NEC東芝スペースシステム (株) 、三菱商事 (株) 、トヨタ自動車 (株) の6社で、現在の株主数はKDDIを含む59社です。
(図1: 準天頂衛星軌道面(黄緑色の線は赤道上空の静止軌道))

Q.2 KDDIの衛星通信システムとの違いは?

KDDIの衛星通信システムは、24時間で赤道上空を回る、静止軌道上に配置された衛星を利用しています。これに対し、準天頂衛星システムは、同じく24時間で地球を一周しますが、赤道面に対し約45度の傾斜角を有する楕円軌道上に配置された衛星を利用するものです。 (図1参照)

Q.3 仕組みをもう少し説明してください

ケプラーの第2法則 (http://www10.plala.or.jp/taikan/pleiades/kepler/kepler1.html) として知られているように、地球を周回する人工衛星の回転速度は、地球から最も離れた地点 (遠地点) で最も遅く、近地点で最も早くなります。

準天頂衛星の地上面に投影した直下点軌跡 (図2: 準天頂衛星の地上面に投影した直下点軌跡 (非対称8の字軌道、24時間周期))

我が国が計画している準天頂衛星システムは、この遠地点を日本の上空になるように選び、日本上空の滞空時間ができるだけ長くなるようにしたものです。1個の衛星は8時間ほど殆ど天頂の近くにあり、3個の衛星で24時間をカバーすることができます。日本の準天頂衛星軌道は、遠地点高度:約40000km、近地点高度:約32000kmですから、真円に近い楕円軌道です。3つの軌道面は互いに120度ずつずれています。
3個の衛星の軌道上の動きを地球上に投影したのが図2ですが、Operational Loopと呼ばれる8の字の上半分が8時間になるように軌道パラメータを選んであります。この間、衛星は常に地上の利用者のほぼ真上 (天頂)に見えることになりますから、準天頂衛星システムと呼ばれます。 2002年12月開催の総合科学技術会議において、本システムは実用化研究の価値ありと評価されました。

Q.4 その目的は何ですか?

衛星が長時間ほぼ真上、すなわち高仰角で見えることを利用し、KDDIビルのような高層ビルの林立する都市部においてもビルなどによって遮られるブロッキングを極力回避して、通信、放送、測位の高度・高品質の複合サービスを移動体向けに行うことを目論んでいました。具体的には
(1) 2.6 GHz帯を利用した音声放送サービス (放送)、
(2) Ku帯 (11/12 GHz, 14 GHz) 或はKa帯 (18, 20 GHz帯) 利用による移動体を対象にした通信サービスで、救急車と病院間の高速データ伝送などを想定 (通信)、
(3) S帯 (2 GHz帯) 利用による移動体を対象にした通信サービスで、移動体への位置情報提供サービスなどを想定 (通信) 、
(4) GPSの補完および補強 (測位) 。

Q.5 新聞記事によれば暗礁にのりあげたのは「国」の貧弱なリーダーシップ?

国のリーダーシップが貧弱であるが故に本プロジェクトが暗礁に乗り上げたとは思っていません。そもそもシステム構築に2000億円以上もするプロジェクトが、国費の投入で簡単に立ち上がると思っていたとすれば立ち上げ時の民間企業の判断が間違っていたと言わざるを得ないでしょう。質問4にある (1)から (3)のサービスは民間主導で行うべきで、サービス (1)については、それが実現できるよう総務省の主導で2003年のWRC (世界無線通信会議) で2.6 GHz帯の周波数の分配に成功しました。 (2)のサービスについても、病院関係者はその実現を期待していました。しかし、結果的には (1) (2) のサービスについては、現時点では立ち消えになっています。

Q.6 然らば何故 暗礁に?

その大きな理由は次のようなものです。
(1) 本プロジェクトを企画した民間会社には、自ら出資してシステムを構築するという考えはなかったのです。この点に関しては国、経団連の見込みが甘かったわけです。即ち、提案企業である三菱電機にしても日立にしても利用者が十分に見込めるならばどこからか資金を出してもらい、自分たちの会社で必要な設備を製造・建設しようと考えていたといえます。しかし、地上インフラが発達している現在、まだ現存しないシステムの利用を約束する訳はないし、ましてシステム建設のために前もってリスクを犯してまで多額の投資をしようとする人・企業は皆無でした。
(2) 企画立ち上げ時の事前検討が不十分で、想定した衛星規模では上記のすべてのサービスを行うのは無理があることがその後判明しました。そのため、サービスを絞る必要があったが、関係企業間および関係官庁間の思惑があり、なかなか絞り切れなかったようです。結果として、新衛星ビジネス株式会社として潜在顧客開拓が充分にはできませんでした。
(3) 各企業の担当者に是が非でも本プロジェクトを成功させようとの気概がなく、潜在顧客を惹きつけるだけのサービスのビジョンが描けませんでした。
私にはこの点が非常に不思議なのですが、企業のトップが率先して立ち上げたプロジェクトであるにもかかわらず、実務レベルでは実現に向けた実りある行動も起こさず、最後まで暗中模索の状態が続いていたのです。

Q.7 今後の見通しは?

環境変化により、通信・放送事業を民間単独で行うことは非常に困難になったとの政府・経団連の認識のもと、国の委託業務としての衛星測位補完サービスに加え、民間による測位補強サービス並びにS帯を利用した位置情報通信サービスを行うことで本年3月に方針が変更されました。その事業を行うため本年度中に官民共同で事業会社を設立し、当面実用衛星2機による実証実験を行い、実験終了後に1機を加え、計3機の実用システムによる運用を行うことになりました。総事業費は2000億円を超え、民間はその1割程度を負担する予定です。衛星1号機の打ち上げは2009年頃の予定です。

Q.8一歩前進したわけですね?

二歩後退ではないかと憂慮します。前述したように本システムは3衛星で24時間カバーするもので、一つの衛星が障害になった時には、サービスできる時間は16時間になります。従って、24時間連続運用を継続するためには予備衛星を軌道上に配置しておく必要があります。静止衛星の場合には、静止軌道上のどこかに予備衛星を配置しておけば、地球局アンテナの方向変更あるいは予備衛星を軌道上で移動させることによって短時間でサービスの復旧をはかることが可能ですが、本システムでは衛星毎にその軌道面が異なるため軌道面毎に予備衛星が必要になります。従って、最初から予備衛星を軌道上に配置するとシステム構築費用は約2倍になります。なお、予備衛星を軌道上に配置しないで地上予備とすることも考えられますが、衛星障害時には最悪6ヶ月程度、24時間連続運用は出来なくなります。有料サービスでこのようなことが許容できるのか疑問が残ります。この問題を深刻に考えていた人はほとんどなく、私が声を大にして指摘しても関係者の反応は鈍かったです。 (何故鈍いのか。理由は想像できますが、それを述べると影響が大きいのでここでは省略します。) さらに、3つの衛星で一つのシステムが構成されると言うことは、そのシステムの信頼性は、一つの衛星で構成されるシステムに比べ、単純に比較して3分の1に劣化するということが理解されていません。一つの衛星の信頼度が例えば9年に一回障害になるとした場合、確率的には、準天頂衛星システムは3年に一度障害になるということです。

Q.9 精魂を込めてやってこられた仕事の完成はなかったけれど気分はスッキリ?

ジュネーブ郊外にて

本年4月の退職時までに、実用化へ向けた決定がなされなかったのは残念ですが、1998年三菱電機入社後、KDD時代の経験が買われ、宇宙関係の仕事に携わることが出来たことは幸せでした。もっとも、関係したスカイブリッジシステム (フランスのアルカテル社のシステムで、64機の低軌道周回衛星を利用して、地上との間で高速・広帯域の双方向通信を行うことを目的としたが、昨年事業推進が中止された) および準天頂衛星通信システムという二つの大きなプロジェクトがそれぞれ途中で中止および計画の変更を余儀なくされたことは心残りですが。
しかし、後者のシステム構築に当たり、電波利用に関する周波数分配の獲得、他システムとの干渉基準策定などに関し、2000年初めから6年間ITUの活動に参加できたことは大きな成果でした。この点に関しては、KDD時代よりも仕事をし、それなりの貢献ができたと思っています。(ジュネーブ郊外にて)
KDD時代の衛星通信の仲間からもいろいろと助けていただきました。そのため、実用化に必要なこと (種々の規制の撤廃、基準作りなど) は、官などの他人任せでは駄目で自ら活動して、勝ち取って行くことの重要性を三菱電機の一部社員は認識してくれました。

Q.10 最後に準天頂衛星システムの真の意義について説明してください

ジュネーブ郊外にて

日本が国家の安全について真剣に考えるのであれば、災害時のインフラ確保、防衛のための通信インフラの確保、自前の測位システムの確保などの観点から準天頂衛星システムの構築は2000億円という膨大な資金を必要とはしますが (予備衛星分は除く) 、投資に値するものです。単に地上インフラでできるサービスの宇宙版を構築しても駄目ですが、地上インフラだけでは、どうしても非常時には不十分であると思います。かつ、利潤を追求する民間資本だけでは、このようなシステムの実現は困難ですので、このようなシステムの必要性、どのようなサービスに利用すべきかなどについて、経済界のみならず広い層でもっと議論すべきです。三菱電機、日立、経団連の一部、官庁、政治家だけで話合っていても駄目です。
なお、図2に示す現在検討中の準天頂衛星システムは、軌道の形態から実質的には日本でのみ利用できるものですが、軌道の形を図3のように対称8の字にすれば、南半球の豪州でも本システムは利用可能であり、国際協調を図ることにより、日本の負担分をかなり軽減できるものです。しかし、残念ながらこの視点からの検討はこれまでのところなされておりません。
以 上      
編集後記
遠藤さんによれば、米国では、国防の立場から世界中をカバーする衛星システム (日本の準天頂とは若干異なりますが、静止衛星ではなく、軌道面が赤道に対し傾いているのは日本のシステムと同じ) を構築しているそうです。日本にある米軍基地とも自在に通信しているのでしょうか? KDD時代の経験を生かしながら少し違った観点から仕事をし、大きな事を成し遂げるには他人任せでは駄目で自ら活動して勝ち取って行くことが大切であることを後に続く若い技術者に解ってもらえたことの意義!素晴らしいですね。大変ありがとうございました。
(文責 鎌田光恵)