ネットインタビュー (13)
---- 地域福祉の向上でもっとゆとりのある社会を ----
今月はこれまでとは少しアングルを変えて、円熟期のエネルギーを投入して新しくみつけた 「福祉」 の世界探索に取り組んでいらっしゃる 湯口 裕 さんに登場していただきました。Q1.湯口さんは会社勤めの比較的早い時期に第二の人生は 「福祉」 の分野でと考えていらっしゃったとか。
ネットインタビューを拝見すると、諸先輩が退職後それぞれユニークな道で人生を謳歌されていますね。読ませていただいて楽しくなりました。私の場合は話が堅いので、ネットインタビューのトーンを壊してしまわないかと危惧しています。福祉に足を踏み入れるきっかけはいくつかあったと思います。中学高校時代には、社会に出たら医者や弁護士のような、人を相手とする仕事をしたいと思っていました。大学受験で医学部と工学部を受験、たまたま先に受かった科が電気関係だったことが、私の人生をそれまでの自分の思いとは異なった方向に向けてしまいました。人生はちょっとしたきっかけで曲がってしまいますね。
KDD生活の第3コーナーを回った平成元年にドイツ勤務を命じられ、それから5年間のドイツ生活がその後の生き方に大きな影響を与えました。3週間、4週間の連続休暇をとることが当たり前、仕事が終わればさっさと帰宅して家族との時間を過ごす、このように個人の生活を大事にするヨーロッパの人々の仕事ぶり、生活ぶりを間近に見ました。また、社会全体の支援で、高齢になっても子どもたちの世話にならなくてもやってゆける不思議な社会。子供と同居しているお年寄りは見たことがありませんでした。
ある日の昼下がり、こんな経験をしました。自宅から車で出かけると、杖をついた高齢の婦人が手を上げて私の車を止めました。どうしたのかと思ったら、近くのカフェまで乗せてくれとのこと。歩くことが儘ならなくなっても、きれいに着飾って通りがかりの車を止めてカフェに行くことはその人にとって大事な日課なのです。お茶とケーキを楽しんだ後、また誰かの車で帰ってくるのでしょう。
その時私は、自分の住む町もそんな町であってほしい、人々の暮らしぶりもこうなってほしいと思いました。私の住む日野市は人口15万のこぢんまりとした東京のベッドタウン。この大きさの町なら私も少しは高齢者の住みよい町づくりに役立つのではと思いました。
Q2.第一ステップとして社会福祉士の資格を取得されました。そして仲間づくりは?
定年を間近に控えたサラリーマンが誰でも思うことですが、住んではいるけれどほとんど関係の無かった地域。そこに戻って福祉をしたいと言っても、果たして相手にしてもらえるかとの不安がありました。ドイツ時代の終盤、社会福祉士という国家資格があることを知り、これなら名刺に書けるし、少しは今後の役に立つのではと思い挑戦しました。受験に福祉系学校を卒業していることが必要だったので2年間の通信教育を始めました。ドイツからの応募には学校側も驚いたようですが、スクーリングと実習への参加が可能なら受け入れるとの返事をもらいました。
帰国後は全ての年次休暇をスクーリングと実習に当てて卒業、社会福祉士試験にも無事合格し、第一ステップの準備完了です。
新たなことを始めるにはエネルギーのあるうちに始めなくてはと50代半ばでの退職を考えていましたが、どこから取り掛かるかが問題です。福祉関係の集まりを市の広報誌などでみつけて参加することで地域とのつながりを探って行きました。そんな時、デンマークへの福祉視察の参加者を募集していることを知りました。
デンマークへの旅に参加したことで福祉に関心のある多くの人と知り合いになりましたが、その一人が、会社を早期退職して福祉のボランティア活動をしている男がいると紹介してくれました。以下では相棒と呼びましょう。相棒も、障害者や高齢者が住みよい町づくりを目指した事業を起こしたいと考えていましたので、意気投合して一緒に 「地域福祉カフェテリア」 という市民活動団体を作りました。そして平成9年2月28日退職、翌日3月1日の団体設立です。
KDDの先輩同輩の方々にもお願いして基盤整備会費と称して出資してもらい、人通りのほとんどない路地裏に小さな事務所を構えました。
Q3.どんなニーズをどうやって開拓し、拡張されたのですか?
高齢者や障害者の日常の生活を支援するようなことをしたいと漠然と考えていましたが、具体的なものは成り行き任せ、行き当たりバッタリでした。最初に始めた事業は高齢者宅配給食事業ですが、たまたま、市の高齢者事業団が大手給食事業者に委託しているのを市民団体にも一部分割委託したいと考えていることを聞き込み、会員宅の使っていない台所を借りて10数食の弁当作りと配達を始めました。(給食サービスのための手作り弁当作成風景)
次に、相棒が準備した車椅子対応のワゴン車で移送サービスを始めました。移送サービスは、各地で身体障害者団体や社会福祉協議会が手がけていましたが、普通の市民団体が取り組む例は稀でした。知名度も低く、最初の1年ほどは一週間に2、3件しか利用申込みがない状況でした。
(外出支援活動訓練風景)
事業が大きな展開を見せたきっかけは、特定非営利活動促進法(いわゆるNPO法)の施行と介護保険制度の発足です。高齢者・障害者の生活を支援する事業をしたいと事務所を構え船出したものの、会費とわずかな事業収入では事務局の維持さえ出来ず、何か安定した収入基盤を作る必要があると考えていました。そんな折、介護サービスはNPO法人も営利企業と同じ条件で事業を行えることを知りました。幸い、会員の中に介護活動に関心を持ち長年取り組んできた人が何人かいたので、組織をNPO法人 「福祉カフェテリア」 に改編し、その人たちの力を借りて、事業をはじめました。
Q4.現在の活動は5つの分野におよんでいるとか?
今取り組んでいる活動は、高齢者宅配給食サービス、階段昇降支援を含む移送サービス、ホームヘルプサービス、ケアマネジメントなどの相談援助サービス、高齢者リハビリ事業です。
給食サービスでは、出来たての手作り弁当を毎日40人ぐらいの利用者に配達しています。調理や配達は近隣の主婦や定年退職の男性が交代でやっています。
移送サービスは高齢者や障害者の通院時の送迎が内容です。法人の持つ車椅子対応車両3台とドライバーが持ち込む乗用車15台を使って通院時などの送迎をしています。 登録ドライバーは20名弱です。主として定年退職後の男性の活躍の場ですが、女性ドライバーも5人参加しています。
移送サービスの関連サービスとして階段昇降支援も行っています。社会福祉医療事業団の助成金で車椅子ごと階段を昇り降りできる機械を購入し、エレベーターの無いアパートに住む人たちの病院通いなどをお手伝いしています。これは全国的にみてもユニークな活動です。(階段昇降支援活動)
ホームヘルプサービスは、4人の常勤ヘルパーと60名ほどの登録ヘルパーで80名ほどの利用者のお世話をしています。このサービスは団体の財政を支える稼ぎ頭で、これで得た利益で事務局の維持や、移送サービスの赤字埋め合わせをしています。
相談援助サービスは一人暮らしのお年寄りの相談に乗ろうと始めた事業です。今は介護保険制度が整備され様々な相談援助機関ができたので、ケアマネジメント (介護保険制度に基づく介護サービス利用支援)を行っています。
高齢者リハビリ事業は、比較的元気な高齢者を対象としたマシーントレーニングやウォーキングによる健康維持活動で、日野市からの受託事業です。
以上のようにいろいろな事業に手を出しています、活動に参加している人は総勢100名強になります。
Q5.「看護」 という仕事は古くからありますが何故、今、「介護」 が出現?
長寿化、核家族化、女性の社会進出など様々な要因があげられていますね。昔は2世帯家族、3世帯家族が当たり前で、おじいちゃん、おばあちゃんに介護が必要となったとき、家族の中でお世話ができましたよね。高齢者の介護は家族の責任ではなく、社会全体で見てゆかねば、というのが介護保険制度発足時の考え方です。
しかし、介護を必要とする高齢者があまりにも多くて予想以上に費用がかかり、家族介護を期待する昔の方向に舵の切り替えが始まっているのが気になります。
Q6.日本は福祉国家になれるでしょうか?
介護保険制度が始まった頃には遠くに煌々とした明かりが見えていましたが、早くもゆらゆらと揺らめいていますね。特に今年になって介護保険の保険料が大幅にアップし、介護サービスの利用にも様々な制限が加えられる事態が生じています。月10万円前後の年金だけで生活をしている人が沢山おられます。そんな人でも保険料は払わなければならないし、介護サービスを利用すれば費用の1割は負担しなければなりません。 「ぼやき」 を通り越して 「悲鳴」 です。
Q7.最後の質問となりますが、ボランティア活動の長所は一般人が
積極的に参加し、多大の報酬は求めない精神です。ただし、短所が
あり、そうした一般人は「熱しやすく冷めやすい」傾向をもち、
ちょっとした事で簡単に去っていく、しかも、ゴソッと。
こういう事態に遭遇されたご経験は?
私たちの場合は幸い会員の定着率がよいと思います。特に活動の中核を担う人の脱退はほとんどありません。地域作りに貢献することに喜びと生きがいを感じている人たちが、
口コミで集まった集団だからでしょうか。全員が有償での活動ではありますが、社会貢献をすることによって得られる非金銭的な収穫が代償のかなりの部分を占めていると考えている人たちです。社会貢献しながらちょっとしたお小遣いがもらえると喜ばれる主婦も多いようです。よい人たちにめぐり会えたと感謝しています。(利用者の相談に応じる 湯口 裕 さん)
以 上
平成9年3月 「福祉カフェテリア」 事業立ち上げから約9年で総勢100名強の活動参加会員が地域で支援をもとめる高齢者の手足となって動く組織に拡大された道程には挫折や困難が待ち受けていたことでしょう。その度に湯口さんの 「背中を押してくれたのは?」 ドイツ勤務時代に湯口さんの車を呼び止めたあの 「ドイツの老婦人の姿」 だったそうです。
大変なご多忙の中インタビューに応じてくださり誠にありがとうございました。
湯口 裕 さんの 電子メールアドレスは yuguchi@s7.dion.ne.jp です。積極的に参加し、多大の報酬は求めない精神です。ただし、短所が
あり、そうした一般人は「熱しやすく冷めやすい」傾向をもち、
ちょっとした事で簡単に去っていく、しかも、ゴソッと。
こういう事態に遭遇されたご経験は?
口コミで集まった集団だからでしょうか。全員が有償での活動ではありますが、社会貢献をすることによって得られる非金銭的な収穫が代償のかなりの部分を占めていると考えている人たちです。社会貢献しながらちょっとしたお小遣いがもらえると喜ばれる主婦も多いようです。よい人たちにめぐり会えたと感謝しています。(利用者の相談に応じる 湯口 裕 さん)
以 上
(担当 鎌田光恵)