ネットインタビュー (9)
--- 定年後、大分県杵築市に I ターン 稲尾登志高さん ---
今回は、定年後九州にお移りになり地元にうまくとけ込み、また、東京との間を足繁く行き交いながらKDD時代の仲間との旧交を大切に暖めておられる稲尾登志高さん(昭和10年生)にご登場していただきました。稲尾さんは平成8年(財)国際コミュニケーションを定年退職される前は国際テレコメット、建築部用地課、秘書課等々に勤務されておられました。(鎌田)1. 大分県杵築市に引っ越されたのはいつ頃?
この地に私が住み始めたのは定年後の平成8年4月からですが、家はその2年前に完成しており、私の両親と妻が先に住んでいました。おかげで、逆単身赴任生活を2年間経験することができました。2. 大分県杵築市を選ばれた理由は?
両親の生地の別府を物色しましたが経費的に少し無理で、杵築は土地が安く、国道に面した小高い丘の上にあって眺めが良く、又、東京に行くことが多いので大分空港に近い(車で15分)のが気に入り決めたわけです。3. 杵築市はどんなところですか?
海と山が近く、緑が多くて、魚が新鮮で安く実に美味いです。また、歴史のある町で古いものが大切に保存されているのです。中でも杵築城、武家屋敷、石畳の坂道などはTVで良く紹介されます。日本の殆どの磨崖仏は奈良、平安時代につくられましたが大分県臼杵市の臼杵磨崖仏群は有名です。ご案内した熊野磨崖仏は山香町にありますが10月の合併で杵築市に所属することになります。(何百年もの間、修行僧の祈りの場、そして旅人達の願いの場だったわけですね。
杵築には、さらに、終戦時、アメリカの戦艦ミズリー号上で降伏文書に調印した重光葵氏の生家も大切に保存されています。人々も実に気さくで人情味があり、親しみ易い性格の人が多いですよ。近隣の山香町、大田村と合併し10月1日から新市としてスタートします。山香町にある九州で2番目に古い別府ゴルフ倶楽部が新市の所属となることが、ゴルファーの間で話題になっています。
4. 稲尾さんの経験では地域にとけ込むコツは何でしょう?
・ 集会や祭りに積極的に参加、酒席にも付き合う
・ 公民活動に参加
・ 近くのゴルフ場に通い友達を作る等で、かなり知り合いが増えました。現在は地域の自治会の会計監査役をつとめさせてもらっています。
5. サラリーマン時代の趣味をどのように継続、拡大?
・ 合唱
「大分第九を歌う会」に所属、年10回の練習を大分市にある県立芸術短期大学で行い、夏8月には郊外の施設で一泊二日の合宿練習を行った上で年末の発表会に臨んでいます。昨年1月13日にはオーストリアに行き、有名なウイーン学友協会ゴールデンホールでの演奏会に参加できたことは大きな思い出です。「大分第九を歌う会」としては、今年で29回目の演奏会を迎えることになります。他に別府の合唱団(「クール青山」という)にはいっており、毎週木曜、土曜の週2回練習、独自の演奏会を毎年7月に開催しています。
・ マラソン
近くの国東半島内で開催される大会(3ヶ所)には毎年参加。他に鹿児島県の指宿、宮崎県の青島、北海道の支笏湖畔など気の向いたところに出かけています。思い出深いのは、1998年3月29日に完成したばかりの明石海峡大橋を正式開通前に走ったことです。
その他に囲碁、英会話、ゴルフ、登山、ウオーキング、テニス等を適宜楽しんでいます。
6. お父上もKDDのOBでいらっしゃいますね。お二人で在職しておいでだったことありますか?
父は昭和31年8月に完成したばかりのKDD備後町ビルの電力課に中途採用され、約10年間勤務しましたので、その翌年採用された小生とは職場は異なっていたものの、同じビルで仕事をしていた時期があります。父は、今年8月18日で満93歳をむかえました。残念ながら足腰が弱ってしまい、歩行困難ですし、食事も進まず、心配しているところです。妻がとてもよく世話をしてくれているので助かっています。 酷暑だった夏がようやく過ぎ心地よい秋の訪れとともに父もいつもの活力を取り戻すことを願っています。
7. I ターンの会
伝統あるKDD同友会長崎支部の幹事を務めさせていただき、微力ながら頑張っています。地元にIターンの会というのがあり、都会から移り住んできた人たちと年2回集会を持ち情報交換をしたり、個人的にお付き合いしたりしています。(終わり)
[後書き]KDD同友会名簿を開くたびにお二人の稲尾さん(正雄さん、登志高さん)が大分県杵築市に近接して住んでおられ、年代から親子でいらっしゃることを推測しておりました。今回のインタビューでKDDの同じビルで勤務された時期もあったとのことまでわかりました。ご兄弟、ご親戚、ご夫婦で国際通信の仕事に携わってこられた方も多くありました。古き良き時代のKDDを回想しました。