ネットインタビュー (7)

--- 四国霊場八十八ヶ所巡りの 横井 寛 さん ---

四国新聞
今回は平成13年秋、70歳で四国霊場八十八ヶ所巡りに出発され、平成15年春、満願を果たされた横井寛さんにご登場をお願いしました。横井さんの体験記が出版されたことは既に当ホームページに紹介がありましたのでお読みの会員の方もいらっしゃると思います。また、四国新聞6月11日号 「さぬきin東京」 というコラムにもこの本の紹介があったようです。歩き遍路中の思いや本の出版の裏話などを披露していただきました。(鎌田光恵 記)
講談社+α 新書 から今年3月20日第一版発行の 「準・歩き遍路のすすめ」 横井 寛 執筆 --- を楽しく読ませていただきました。

1. 二年の春秋をかけた四国霊場八十八ヶ所巡り結願までには、ご家族、四国在住の
   ご兄弟の方々の並々ならぬ支え、なかでも高齢のお母様の温かいお心遣いが読者
   にも伝わってきました。発心の動機は?

そう改まって聞かれると困るなあ .... 特に深い信仰心があったというわけではありませんが ... 、私は四国の生まれで、小さいときからお遍路さんを見て育ちました。特に母は弘法大師がお生まれになった讃岐の善通寺出身で、深くお大師様に帰依していました。私も自由な時間がもてるようになったら “お遍路をしながら故郷の野山を歩いてみたい” というのが長年の夢でもありました。
お遍路の終り頃には、自然との触れ合い、自分自身との対話、多くの人たちとの出会い、などをとおして、私たちは 『この世の中で生かされているのだ』 と実感することが出来ました。今はただ全てのものに感謝したいと言う気持ち、不思議なものですね ...。

2. 本の中で印象に残った箇所4点ほどについてお訊ねします:
(1) 若い黒衣の僧侶が風を切って足早に道を急ぐ姿がまるで空海の生まれ変わりのように見えた。

四国遍路には “今も四国路を歩いておられるお大師様 ( 空海) にお会いしたい” という 「思い入れ」 があるのです。そのときは私もそのような素朴な気持ちになっていたのかも知れませんね。

(2) 道案内を役目と心得ているかのごとき白い犬との道連れ

これは、後になって考えてみても、私のお遍路中における最も不思議な体験でした。あの犬は正に仏のような野犬でした。空海が修行中に山中で座禅をしていたとき、野鳥や野獣が木の実などの食べ物を運んできたという話が伝えられていますが ... 、あの犬にとってはお遍路さんが仏様に見えたのか … それとも、あの犬は 「仏の使い」 であったのか ... 私ももうあの世が近いのかもしれませんよね。
春の風 仏の犬に 導かれ  寛

(3) 「今の日本人はどうして自信を無くしてしまったのか?」 と、日本の真の心を見つけたくて
    やってきたというドイツ人女遍路の行く先は?

彼女の行く先・・それは私もしりたいとおもっているところです。私はここ数年前から昭和史の研究に凝っています。最近、問題となっている日本の中学歴史教科書をはじめ中国や韓国の歴史教科書も読んで見ました。そして感じることは特に歴史認識について、本当の歴史を捏造、改竄しているのは中国や韓国の方であると思うようになりました。日本人はそろそろ戦後の自虐史観から開放されるべき時です。

三十一番 竹林寺

(4) 四国では歩きお遍路で橋を渡るときは音を立てないように
  - 弘法大師様が橋の下でお休みになっているかも知れないから -
   という言伝えがあるのに、横井さんの弟さんはワザワザ杖で
   トントンと音を立てて通られる。その理由がピカイチですね

あの時、私が注意すると弟は 「傷んでいるところはないか、工事の手抜きはないかのチエックをしている」 と言いました。彼は長い間、県庁に勤めていた土木技術者で、そんなことが習性となっていたのでしょうか。世話好きでジョークが好きな弟です。

3. 四国の観光産業としては団体遍路を優先するも、伝統的信仰
   行脚の魅力を維持する立場からは歩き遍路を優先したいという
   受入れ側の苦悩も読み取れ<ます。

観光として熱心なのはホテル業者やバス会社、みやげ物店、そして札所の中にも営利優先という寺も幾つか見られましたが、お遍路、特に歩きのお遍路さんを大切にという 「お接待の心」 が今も四国の風習として残っているのは嬉しいことです。全く知らない人から “お接待です” と言って飲み物や食べ物、時にはお金まで頂き、お互いに手を合わせる。こんな風景が世界のどこの国にあるでしょうか。お遍路として訪れる四国は、ただの四国ではなくて 「お四国」 なのです。仏様の物差しで人が人を見るようになるのです。

4. 今後の計画は何処へ?

KDD大阪支社勤務の頃から十数年をかけて西国三十三ヵ所をめぐりました。交通機関利用の参拝でしたが・・・、 これからは熊野古道を歩いてみたい。四国遍路もまたやりたいのですが 「乱れ打ち」 (気に入った所だけを勝手に歩く) でもと思っています。もう歳ですから...。

六十四番 前神寺

ここからは、本の出版についてお尋ねします。

5. 講談社+α新書で出版となった経緯は?

お遍路の紀行文をCDに入れて何人かの友人に送ったところ、好評で、友人から友人への連鎖、不思議な “ご縁” で出版社の編集長 (偶然にも高松出身) を紹介して頂き、出版の運びとなりました。これも
お大師様のお陰です。
新書版となったのはお遍路さんの携帯に便利なようにということでしたが、紙面の制限から挿絵の大部分と原稿の2割くらいがカットされました。

6. 筆者として割愛したくない箇所のカットも?

カットされたのはお遍路の前後に弟たちと車で巡った番外札所の話とか、安芸市や竜串海岸などで遊んだ話、讃岐における西行の話、道中での四方山話などで、特に問題はありませんが、スケッチや俳句がかなりカットされたのは残念でした。しかし、表紙カバーと各章の初めの装画として4枚 計5枚のスケッチが採用されました。

7. 巻末に 「お遍路さん用語」 の解説があるのもいいですね。

これは一般読者のために書きました。そのひとつ、白衣、これは “はくえ” または “びゃくえ” と読みます。お医者さんの白衣 (はくい) とは異なることにご注意下さい。白衣は死装束です。昔のお遍路さんが決死の覚悟で出かけた名残ともいえます。道中で亡くなれば、そのまま土地の人によって埋葬され、金剛杖がその墓標として立てられたといいます。しかし今は、お遍路さんの制服と言えます。これを着ていればお遍路さんとひと目で分かるので遍路同士や土地の人との対話が持ちやすく、また暗くなったときとかトンネルの中などで目立ちやすいので安全です。

いつか民主党、菅さんのお遍路姿をTVで見ましたが、彼は一番から九番までを歩いただけだと聞きました。 「遍路十戒」 の中には 「嘘をつかない」 「悪口を言わない」 「二枚舌を使わない」 「怒らない」 と言うのがあります。菅さんもこの “お遍路の心” を持ち続ける政治家であって欲しいものです。

8. ご自分の本が店頭に並ぶ光景を目にされたときの感慨は?

なんだか面映いような、恥ずかしいような、妙な気分です。近所の書店を覗いたら、 「準・歩き遍路のすすめ」 が書棚に見あたらないのです。‘もう売れてしまいました’ と言われちょっと安心した時もあります。
以 上
(後記)
JR高田馬場駅前の書店で 「大日本行程大絵図」 という古地図をみつけました。初版は天保14年卯5月と書いてありました。四国を見ますと国は讃岐、阿波、土佐、伊予の4つ、お城は13もありました。そして、八十八ヶ所の霊場がきっちりと書き込まれていました。全部が現在の霊場の番号と名前と同じです。過去から現在までどれだけの人々が訪れお参りしたことでしょう。歴史の重みを感じました。
横井さんの本では特に次の俳句が印象に残りました。
鶯に 鈴の音かへす 遍路かな  寛
ありがとうございました。(鎌田光恵 記)