≪ 不死鳥物語 ≫

〜 第10話: 科学と宗教 〜

遠藤栄造 (2007年10月)
◆ 参院選の結末としての、ねじれ国会、相次ぐ閣僚の不祥事による辞任、遂に「美しい国」の安倍政権がダウン。急遽「背水の陣内閣」の福田政権が誕生すると云うホットな政変劇で、この夏のクールビズは過ぎ去った感がある。唐突の総理辞任には各界から批判・驚きの声が上がった。不安定な政情下のストレスに猛暑が追い打ちを掛けたと見られ、流石に意欲満々の若い総理も体力に限界があったと云うことであろうか。
10月半ばにして漸く東京方面も爽秋を迎えつつあるが、この夏は確かに記録破りの猛暑、国全体をも狂わす異常なホットさであった。南北に長い日本列島の各地で40度超の猛暑日が相次ぎ、9月に入っても30度超の真夏日が例年の倍以上と観測記録を更新した。この猛暑は、報道されるとおりグローバルな異常気象、地球温暖化の影響とされる。その主要因として、われら人間社会が排出する温室効果ガスが挙げられている。テレビ映像に見る、北極氷原の際だった縮小、かつて氷河に覆われた美しいスイスアルプス山容の変貌や氷河崩壊による山麓の洪水被害等は、地球温暖化の深刻さを物語ると云えよう。
氷河の崩壊
さき細る氷河の流れ
(アラスカ・マッキンリー山麓)
地球温暖化問題については、連日の報道により、また巷のイベントなどでも啓発運動が盛んだ。この夏筆者も遅まきながら、街の市民大学と称する老人の集まりで「地球温暖化と省エネ技術」と題する2日にわたる講座を受けてみた。当地の電力中央研究所の環境科学やシステム技術の専門家による講義で、学術的な難しいお話もあったが、頭の中を整理するのに大変有益であったと思う。先刻ご承知と思うが、その一端を纏めてみよう。
◆ そもそも地球環境の変化は、当然ながら宇宙ダイナミズムの一環であり、例えば、太陽エネルギーの影響や、地球の氷期・間氷期サイクルと称する数万・数十万年単位での地球の寒暖メカニズム、あるいは海流の熱塩循環システム(海氷形成−高塩分水−深層循環)などとして論じられている。
しかし、今日の温暖化騒動は、まさに現代社会の歪みを象徴するもので、産業革命以来と云われる科学技術の急速な進展、社会・経済体制の競争的展開などに根ざす人為的要因が大きく問われている。この関係では早くから識者の間で警告的議論が闘わされてきた。1972年には「国連人間環境会議」で、「国は他国を含めあらゆる環境に対する損害に責任を負う」ことが宣言され、環境問題として地球温暖化対策も国連の場で進展してきた。
例えば、1988年には「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」と称する専門家グループが立ち上げられ、1992年にはリオデジャネイロの地球サミットで「気候変動枠組条約」を採択。いわゆる「京都議定書」は、この国連枠組条約に基づく第3回締約国会議(京都・1997年)で採択された、省エネや温室効果ガス対策を具体化した初めての国際合意である。因みに「温室効果ガス」としては、二酸化炭素(CO2)、をはじめとし、メタン、窒素類等の6種のガスが含まれている。
さらに国際的動向としては、ご承知のとおり安倍前総理が去る6月の独ハイリゲンダム・サミットで提唱した「美しい星50」構想がポスト京都議定書の方向付けとして一石を投じ、京都議定書(2013年終了)に背を向けてきた米国も含めてG8首脳が、今次サミットでは一致して2050年までに温室効果ガスの排出量半減に向け努力することを宣言した。来年7月の洞爺湖サミットではポスト京都議定書の枠組みが中心議題として予想され、「美しい星50」構想を提唱したサミット議長国・日本の手腕が問われることになろう。
洞爺湖の風景
来年のサミット開催地・洞爺湖から羊蹄山を望む
「洞爺湖汽船株式会社提供」
◆ 庶民の省エネ対策・心構えについては既に多く実行されていることだが、今回の講義でも、各種統計類を基に具体的な説明があった。例えば、一般家庭での待機電力は家全体の消費電力の10%にも達するとのことで、熱源を持つテレビ、照明、電気ポット、ACアダプターなどは不要時にはこまめに切り、コンセントも抜くことが手近な省エネとして強調された。因みに筆者は最近、スイッチ付きのテーブルタップを購入し、タップ上のスイッチで不要電源を切ることにした。手間が省けて便利だが、果たして省エネ効果は?
また電化製品の耐久消費財について面白い仕組みのあることも教わった。1998年の省エネ改正法により、エアコン、冷蔵庫などの耐久消費財については、その時点での最高基準(トップランナー基準とも云う)の製品しか販売できないという仕組みだ。確かに、量販店などでは最新式ヒートポンプ・エアコンなど高効率を謳う製品が喧伝されている。新品でも旧型は販売出来ないと云う。確かに新型は使い勝手も良く、省エネ効果は大きい。買い換えを促す仕組みだが、消費者にとっては新型への切り替えは「もったいない」の気持や環境(廃品処分)の観点からも考えさせられる問題ではある。古い扇風機による火災事故死等も他山の石とし、安全第一に省エネの実を挙げて行きたいところであろうか。
因みに省エネ法はかつての石油危機(1973年)を背景として1979年に施行された法律。その後、京都議定書の締結に伴い、環境負荷の低減、温室効果ガスの削減へと目的を拡大して改正が重ねられてきた。電化製品のトップランナー方式もその一連である。
◆ 消費者レベルでの省エネ対策・意識改革が重要であることは論を待たないが、京都議定書の目標達成については、当然ながら国の政策・産業界レベルでの対処が大きく問われる。ところで、京都議定書のイニシャチヴをとった日本自体の温室効果ガス削減の達成が危ぶまれている。つまり、議定書で約束した日本の削減目標は、2012年までに1990年の排出量比で6%減。ところが現状では逆に8%増の情況と云われ、強力な対策が求められる。
対策としてはクリーンエネルギーの積極導入、ガス吸収に有効な造林の推進、更には削減メカニズムとしての排出権取引(例えば途上国に環境技術や資金を提供、その排出量と取引)とか、グリーン税制の導入なども挙げられる。因みに最近の内閣府世論調査(07/10/6発表)によると、環境税の導入に賛成が4割、反対3割と前回調査(05/5月)の賛否が逆転したとか。温暖化対策のために相応の負担やむなしとする国民の認識の現れと見られ、猛暑・異常気象に伴う危機感でもあろう。
化石燃料に依存しないクリーンエネルギーについては、例えば太陽電池、風力発電などが着実に進展しているものの、効率性・経済性などから、まだ規模は小さい。また環境に優しいとされるバイオエタノールなどのガソリン混合燃料が近年急拡大しているが、バイオ燃料がトウモロコシなどの耕作物から抽出されることから食料・飼料などとの競合に伴う経済的影響で課題も少なくないようだ。
◆ 一方、かつてのチエルノブイリ原発(ウクライナ)やスリーマイル島原発(米国)などの暴発事故で安全性に疑問が投げかけられてきた原子力発電(原発)ではあるが、近年はオイル高の影響もあり、特に温室効果ガス削減に有効な二次エネルギーとして、世界的に見直されていると云う。これまでの原発利用国は31ヵ国、原子炉435基(2007年現在)を数える。原発の稼働は、フランス(電力需要の80%を賄う)を筆頭に、主要各国(日米ロ加等々)でも、需要の10~30%程度を賄う情況。今日世界で主流の原発方式としては燃料効率の良いプルサーマル式軽水炉と云われ、日欧米などで50基ほどが稼働中とされる(以上各数値は関係資料による)。かつて原発から撤退したドイツ等でも再導入を検討、また経済発展の著しい途上国(中国など)でも原発建設が具体化しているようだ。先進国の原発建設企業は、これからの受注に向け体制整備に余念がないとも報じられる。
さて、日本の原発事情については周知のとおり、化石燃料等の一次エネルギーの多くを海外に依存する関係から、国の政策として原子力技術の平和利用を早くから推進し、原発の導入を図っている。今日では我が国電力需要の凡そ3割を原発で賄うと云う。ところが報道で知られる通り、日本各地の原発施設では信頼性を揺るがす不祥事が相次いだ。厳格な技術管理の下で運用されるべき原子炉(核融合施設)にも係わらず、関係データの改ざん・所定の検査洩れや報告遅延など、また先般の中越沖地震での不手際な地震対策(柏崎原発)などと憂慮される事態が発生し、運転停止に至る原子炉も少なくない状況である。
◆ 原発利用については、核融合施設の安全性や放射線漏れの危険性などの懸念が付きまとい、原発建設反対の意見も少なくない。筆者も常々関心を持っていたことから、かつて街の講演会で、これも電力中央研究所の原発研究専門家から「放射線と自己修復」と題する、難しいが興味深かいお話を伺った。まず原発施設の一般的な解説によると、その建設・運用は当然ながら研究・検証された知見に基づく確立された技術によって、安全性と効率性の両立の中で運転されていることが強調された。つまり、原発の潜在的危険性は原子力コントロール技術と多重防護手段などで十全に対処しており、我が国電力需要の安定供給に寄与していると云う、当然のお話。
狛江市・曹洞宗泉龍寺
鐘楼から本堂を見る曹洞宗・雲松山泉龍寺
(狛江駅前)
講師は原発第一線の研究で国際的に活躍しておられる専門家で、次のような感想を語った。即ち、地上で一番強い放射線を発生している原子燃料では、核分裂ごとに起きる燃料の損傷を自ら修復する生命現象(生物成長の形態)に似た不思議な現象が繰り返されていると云う。複雑系・非線形理論を含む核分裂制御技術の研究には奥深いものがあり、その中でのアプローチとして西洋的思考と東洋的思考の違いを感じるとも云う。従来の技術開発において支配的な西洋的対立二元論(一神教的)に対し、複雑系などの研究ではむしろ東洋的な多元思考(多神教的)が望ましいとの感想である。このようなヒントは、彼が禅寺での修行・読経の中に感じていることを示唆した。
実は、講師は毎年8月と12月に近所の禅寺で行われる早朝座禅会の常連。いつも出勤前に参禅する熱心な求道者である。筆者も10年来この座禅会にお邪魔しており、講師とは旧知の仲だが、座禅会は朝6時から坐禅(約1時間)、読誦、作務と続き、殆ど雑談の機会はない。彼の原発科学研究のヒントがなんと座禅会に繋がっていたと云うお話は印象的であった。科学も詰まるところは、哲学・宗教の分野に結合すると云うことであろう。つまり、彼が坐禅で体得したことは、近代科学と生命観との繋がりであり、複雑系、非線形理論(数学的仮説)を伴う核融合技術の研究においても、見えない自由度が隠れており、その思考には、西洋的と東洋的な生命観の対峙があるということであろうか。
Time&Space-2007.4/5
KDDI情報通信誌
-Time&Space-2007.4/5号の表紙
◆ この春のKDDI情報通信誌に掲載された科学作家・竹内薫氏のエッセイから科学や宗教の見方について興味ある解説をみた。科学も哲学も宗教も世界を知りたいと云う動機では同根だが、目指す方法論が異なると云う。科学が哲学の一分野とされた歴史は長い。しかし、科学は仮説の積み重ね「常識の99.9%は仮説」、科学的真実も暫定的。永遠の真理は存在しないと云う。科学の面白さは仮説を組み立て検証して行く過程にあるとも。
例えば、飛行機が飛ぶ仕組みはまだ完全には解明されていないし、地震や地球温暖化がおこる理由も実はよく分かっていないとも云う。生物の進化は科学で説明できるが、その起源を説明するのは難しい。そこに宗教・哲学の活躍する場があるとも。素人向きに書かれたこの論説は示唆的である。
◆ さて、環境に優しい科学、温暖化を食い止めるための技術は既に大きく展開している。同時に地球環境を良くするカギは「もったいない精神」に象徴される人間の意識であろう。温暖化ガスの少ないエネルギーの代表格・原発も、科学者の知恵と忠実な運用意識により実効を挙げることができよう。
科学技術と宗教との繋がりの話しはユニークに見えるが、それは相互補完の関係?とも見える。人間に優しい地球環境を、不死鳥のように未来世代に向けてバトンタッチする様々な工夫・技術は、宗教の世界、例えば天地自然(宇宙)と、そこに抱かれる人間の在り様を説く「般若心経」の世界にも通じる知恵であろうか?!
以 上
<抹香臭い話しになり恐縮です。歳のせいかも!?>