◆さてこの夏は、日本選手団の大活躍に沸いたオリンピックの熱気とともに過ぎ去ろうとしている。 一方、毎年のことながら盛夏8月は鎮魂の辛い想い出の月でもある。原爆・敗戦の痛ましい追憶、 太平洋戦300余万の犠牲者に対する追悼の念に駆られる。筆者も戦前派の生き残りとして、この月は感慨も一入。 特に今年はたまたま、前編で触れたとおり、7月に処女地観光の目的で訪れた南洋諸島への船旅の途次、現地の 痛ましい戦跡を訪ねると云う機会を得て、今夏は鎮魂の思いを一層深めた次第。
歴史を振り返り伝承することの大切さを思うとき、戦跡が保存され、 慰霊碑が祀られる(観光資源の側面もあるが)ことは意義あることと思う。広島の原爆碑に「過ちは繰り返しません」 と刻まれる。意味深な言葉、解釈はいろいろかも知れないが、史実に関心を持ち世代に伝承することで、 愚行が繰り返えされないことを念じて止まない。平和の有り難さを噛みしめている。
◆今回の船旅で訪れた南洋ミクロネシアの人々は、日本人との共通項の多い海洋民族。ただ19世紀後半頃から スペインそしてドイツなど白人系支配の植民地となり、1920年からは第1次世界大戦の結末として、国際連盟の 委任を受けた日本が、太平洋戦までの凡そ四半世紀にわたり統治に当たったと云う複雑な変遷がある。いわゆる 日本の南洋委任統治時代は、現地の経済開発・住民の啓発を第1義とした平和的日本化を目指したものだが、 残念ながら太平洋戦の戦場に巻き込まれる悲劇に終わった。今日南洋諸島の大半は米国の支配下にある( グアムは準州、サイパンなどは自治領)が、その中で、パラオは唯一の独立共和国。先代大統領が日系の クニオ・ナカムラ氏であることは知られるところ。現地住民にも太平洋戦の犠牲者は少なくない訳だが、 日本および日本人に対しては委任統治時代からの好感度は続いているようだ。歴史・文化を大事にし今後とも 交流の深まることを期待したい。
◆なお、前編でクルーズ船の衛星通信について若干紹介し、その中で「Nスター」についても触れているが、
その後関係資料により確認したところ、日本領域・近海をカバーするNスター(静止衛星)向けの船舶電話用
アンテナとしては、一般的に「フェーズドアレイ・アンテナ(直径30pほどのキノコ型外装に収容)」が使用
されているとのこと。
つまり、フェーズドアレイ・アンテナは機械的な自動追尾方式のパラボラ・アンテナに
代わるもので、小型簡易な設備で近海航行船舶などに広く提供されているとのことである。
アンテナの利得
比較など技術的解説については専門家にお願いするとして、取りあえず前編の舌足らずの記述を補足します。
◆話題を再びインマルサットに戻すと、本年はインマルサット機構設立(1979年7月)から丁度25周年目に当たる。 そして不死鳥「マリサット」を引き継いでグローバル・システムの運用に入ったのが、その2年半後の82年2月である。 この四半世紀の間に技術・運営体制ともに大きく進化・変貌したが、設立当初の目的は今日に引き継がれ、 ますます充実している実態を筆者の船旅での体験・感想を通し前編で紹介したところである。そこで、 インマルサットが今日の展開・成果を見ている源泉・背景は何か? 年寄りの戯言になるかも知れないが、 本コラム次の話題として再びインマルサット設立初期のエピソードなど歴史的イベントについて検証して見たいと思う。