氷上川(ひかみがわ)
原画:油彩 M12号
山口衛星通信所のある高台の麓を南に向かって流れる仁保川(にほがわ)は、金成山(かなりやま)のあたりでほぼ直角に流れを変え、まっすぐ西方に向かい姫山の麓で問田川(といだがわ)と合流してすぐに椹野川(ふしのがわ)に流れ込みます。この仁保川が直角に流れを変えた辺りから、仁保川のことを地元では氷上川(ひかみがわ)と呼んでいます。室町時代に山口を拠点に中国地方に覇をとなえた大内氏の発祥の地がこのあたりで、氷上という地名はその大内氏の氏寺である氷上山興隆寺に因みます。この絵は、その大内氷上のあたり、ちょうど日産の創始者である鮎川義介(井上馨の親戚筋ですが)の生家のすぐ近くの氷上橋から東方を眺めて描いてみました。かつて宮島社宅に住まわれた方にはきっと見覚えのある風景だと思います。宮島社宅の場所より2キロばかり上流になります。左手の山が金成山です。
楳本 龍夫