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第2章 薩捶峠 -- 朝のハイキングは快適だった -- <沼津→由比>

(富士川の谷は深く・・・)

沼津駅前には多方面に多くのバスが発着しているが、みな近隣地区へのローカル路線なので、行き先は馴染みのない地名ばかり、どれに乗るべきか皆目分からない。しかも、人に尋ねることもできない。何故なら自分自身の行き先が分らないのだから。手がかりとしては、前章に述べたように『JR東海道本線に並行する路線』が存在する筈で、それを捜すことである。数ある行き先標示板の中から、やっと駅の数で4つ先の地名吉原を見つけたときは午後も二時をまわっていた。 乗り込んだ富士急バスは 15:00発。JRとほぼ平行している旧東海道を西進して、16時少し過ぎ吉原中央という富士急のバスターミナルに着いた。JRの吉原駅から2キロほど西北の富士市吉原町の中心繁華街である。
ターミナルに頻繁に出入りするバスの群れのなかで、発車寸前の「富士駅行き」というのが目に入った。東海道線「富士」駅は「吉原」の次である。もっと遠くまで距離を稼げるバスが望ましいが、もう夕暮れが近い。あれこれ迷っているよりも少しでも西へ移動すべきだ、と、状況不詳のまま急いでそれに乗り込む。 16:15発車。
富士駅前には16半頃着いた。狭い駅前は早くも薄暮、通学帰りの学生でごった返している。駅前の路線バス案内看板を凝視する。駅周辺の近距離路線があまた網を成すなかに「富士→蒲原→由比→興津」という、JRと平行するお誂え向きのルートがあった。そして待つ間もなく「由比行き」の表示を掲げたバスが目の前に現れた。「興津」でなくて途中の「由比」止まりなのは残念だが、その先も乗り継ぎで興津まで行ける、との確信の元に、いそいそとそれに乗りこんだ。
16:40 富士駅前発。富士市街地の渋滞を抜けるうちに日はすっかり暮れた。富士川の橋を渡るとバスは一旦国道から大きく北に逸れて「蒲原病院」に立ち寄り、かなりの人数の客を乗降させた。
17時20頃、由比駅上という停留所がこのバスの終点であった。バスを降りた私たちは、当然の期待をもって後続のバスを待つ。だが、薄汚れたバス停の標柱には、書きなぐりのような文字で、以遠の運行が無期限に休止中である旨が記されていた。そして、時刻表があるべき箇所は剥がされた跡が残っている。この先、もうバスはないのであった。立ち往生である。
後の調べで分かったことであるが、この由比〜興津間は下り方向が数年前から休止されていたのだった。
戻るか? どこまで? 戻っても先の展望は開けない。第一、戻る足がない。上り方向のバスはもうなく、そしてJRは使えないのだから。
国道の排気ガスにまみれたここ、「由比駅上」というバス停、JR駅は至近距離だが、急峻な崖の下である。とりあえず路地状の石段を伝ってその駅に赴いた。
何故か、由比の町の中心は由比駅と蒲原駅の丁度中間にあって、ここからは2キロも隔たっている。明治初期の官営幹線鉄道が駅間距離の平均化にこだわった故だろうか? 駅に駅員の姿は見えず(無人駅か?)あたりは人影もない。駅前なのに鄙びた場末。町は暗く、まだ6時前というのに深更の感じである。しばし駅のベンチに拠って状況を分析、吟味する。
江戸の昔、五十三次の時代、ここは薩捶(さった)峠という街道の難所であった。駿河湾に張り出した懸崖に阻まれた街道は、その崖をへつるように攀じて辛くも興津へ抜けた。東海道の難所だったのである。そして現代は、列島動脈幹線たる国道1号、JR東海道本線、そして東名高速道の3者が、もつれ合って狭い崖下に犇めく。ここは地勢的に東海道のネックなのである。
この先、興津の町までの距離は数キロに過ぎないが、その間は人家が絶え、町は途切れる。そこを"通過"するための道路や鉄道は完璧に備わっているが、その途中では"乗り降り"の必要がないことはハッキリ分かる。したがって路線バスは不要である。ここは、メガロポリス−−長い帯状の市街化地帯に忽然と存するワンポイントの空白であった。
かくして、JR線に寄り添うこのルートが不可とあらば代替ルートを捜さねばならぬ。手持ちの地図を広げて検討する。どこか他にバスが通るような『市街地』がないものか ・・・。
薩捶峠の北は標高数百米の山地が分水嶺を成して南北に連なり、その東側には1級河川・富士川が寄り添い、谷を造っている。右岸に国道52号、左岸にJR身延線を配するこの谷は「東海地方」のイメージからは意外とも思える程に深く、東西の交流を阻んでいる。両岸を結ぶ道路橋はその数少なく、右岸と左岸は生活圏を異にしているかに見える。両岸に跨がる『市街化』地域は遥か甲府盆地まで遡らねば存在しないのであった。私は、ふと、この国の電源帯が50ヘルツと60ヘルツに分かれ、その境界が富士川であることに思いを至した。
富士川地区を横断する路線バスは存在せず、と断ぜざるを得ない。本旅行の企画の段階でこのことを読み取れなかったのは迂闊であった。
私はこのことを紐育君に簡単に説明し、そして言った。「失敗だ、もうやめて帰るか!」
つづく


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