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第U部
第1章 箱根越え -- 出だしはのんびりと -- <東京→沼津>
(箱根路、余裕と焦りと・・・)
小田急下北沢駅を 7時35分。新宿発の箱根湯本行き急行電車に乗り込む。大阪を目指す『へそ曲がり旅行』の第1ステップである。壮大、かつユニークな実験旅行にしては如何にも中途半端な出だしであるが、時間的な制約でこのようになった。府中に住居を持つ同行者の都合もあった。1998年晩秋、11月27日、金曜日のことである。
同行者はN.Y君。名随筆『阿房列車』において内田百關謳カに随伴する平山三郎氏の文中での呼び名は『ヒマラヤ山系』。そのネーミングの趣向を真似て、本レポートでは彼を『紐育(ニューヨーク)君』と書くことにする。ただし、百關謳カとヒマラヤ山系の君主と従者の如き関係に対して、こちらは同輩の遊び仲間である。若干の年齢差はあるが、お互い年齢の絶対値が高じた今、それはネグリジブルである。
小田急は混む。首都圏の電車が混むのは当たり前で何の不思議もないが、小田急の混み方は念が入っている。都心のターミナル駅から郊外に向かう電車はだんだん空(す)いてくるのが普通だが、小田急はどこまで行っても一向に空かない。途中の乗り降りは頻繁だが、新宿から終着小田原までの間に、開発した宅地や誘致した学校などが巧みに配されていて、客が途絶えない仕組みになっている。つまり商売がうまいのである。
立ちん坊で通勤電車の気分を味わされて小一時間、それでも途中でどうにか座れて 09:07に小田原着。電車は4分停車後、そのまま箱根登山鉄道線に乗り入れ、09:20箱根湯本着。
09:30 箱根湯本発・箱根登山電車に乗り継ぐ。スイスの『氷河急行』で名高い『ブリク〜ツェルマット鉄道』と姉妹関係を結ぶこの『箱根登山鉄道』は私がこよなく愛する山岳鉄道のひとつである。実は、ここからはバスにした方が時間ロスが少ないのであるが、私の好みで鉄道にこだわった。余事を排してひたすらに大阪を目指すべし、というルールをはやくも犯している。この先の長い行程で生起することあるべき難関に備えようという感覚は、この時点では未だ希薄であった。
09:45、宮ノ下で電車を捨ててバスを待つ。10:07、来かかった元箱根行きの箱根登山バスに乗る。バスは国道1号を上りつめると芦ノ湖に向かって下りはじめ、10:35 元箱根に着いた。
箱根の芦ノ湖畔には1キロほど隔てて「元箱根」、「箱根」の二つの拠点があってそれぞれバスターミナルを抱えている。三島、沼津方面へのバスは「元箱根」を始発し、「箱根」を経由するのであるが、当時は「箱根」始発と思い込んでいたので「箱根」行きのバスを捜し回った。ところが箱根地区にはライバル関係にある二つのバス会社の停留所の位置が異なっていて分かりにくく、ここで思わぬ時間を浪費する。「箱根」バスターミナルに着いたときは既に11時を回っていて、午前中の三島/沼津方面へのバスは出たあとであった。次は12時半まで無い。
箱根地区のバス・ネットワークは地理的にも時間的にも密度が濃く、観光にはマイカーがなくとも路線バスだけでこと足りるという、昨今では珍しい観光地である。が、このことは小田原、熱海方面との連がりについていえることであって、三島、沼津方面へのバスは東側に比べるとずっと少なくなっている。このことに思いを至さなかったのは迂闊であった。せめてこの区間だけでも事前に時刻表を調べておくべきであった。
関所跡見学などで時間をつぶし、ビールとラーメンを腹に流し込んだりしてもなかなか時が消せない。ようやく焦りを感じてきた。
12:30 やっと箱根発の三島行き東海バスに乗る。
バスは蛇行する国道1号を駿河湾に向かって下る。晩秋、好天にめぐまれた箱根路、車窓から俯瞰する西伊豆の風光は秀拔だった。眼下に広がる平野に小さな丘がいくつも点在し、それが海に浮かぶ小島の群れのように見え、その先には本物の海、駿河湾がはるかに広がる。紐育君はその光景にしきりに感嘆している・・・。
それはいいのだが、このバス、極端に空(す)いている。箱根路もここ西端まで来ると観光のメインルートから外れ、乗客は我々二人だけになることもある。なぜ空いているのを懸念するかというと、そのような状況は路線の廃止につながりかねないからである。折角このプロジェクトを達成しても、それが今年かぎりで、来年はもう成り立ちません、となってはカッコ悪い。バスは時折旧道に出入りして集落を縫うけれど、それでも乗降する客はほとんどない。長い箱根の西坂を下り切って三島の町に近づいたころ、ようやく地元の人も何人か乗ってきた。