(ここは紛れもない大阪だ)
私鉄では最長の青山トンネルを過ぎ、伊賀・名張の山中を走り抜けた近鉄特急は大阪平野に駆け降りる。まっ暗だった車窓に、赤い灯青い灯がチラホラしはじめた、と、思う間もなくその数は増えてゆき、眩いまでに窓外にいっぱいに広がった。大阪ミナミの繁華街に入ったのだ。アホらしさ極まって荘厳の趣きさえ漂わせるこの旅もついに終結を迎えるのだ。その私は座席で思わず居住まいを正していた。
電車は立体交差の鶴橋で大阪環状線を横切ると地下に進入した、と見るや、そのまま高速で市中の駅を二つ素通りし、終着、近鉄難波の地下ホームにぴたりと停った。大阪である。JRにも、高速道路にも頼らず、ひたすらに中小私鉄とローカルバスを乗り継ぎ、乗りこなし、ある時は迷い、ある時は山路を徒歩で踏破し、3日をかけてたどり着いた大阪である。
大阪へ着く、といえば普通、新幹線で新大阪。だが、新大阪とは何だろう? 大阪の『キタ』までは更に数キロ、市営地下鉄などで数駅も隔てたハズレの地にすぎないではないか。そもそも淀川のあっち岸なんてホンマの大阪やあらへん・・・。それに対し、今、直(ちょく)に到着したのは『ミナミ』の中心地である。地下駅だけれど正真正銘の大阪難波の繁華街。道頓堀も心斎橋もすぐ脇に控える本当の大阪に真一文字に突っ込んだのだ。私はこの事に、ある種の感動を覚えた。
難波の地下街、時刻は宵の7時過ぎ、帰宅を急ぐ通勤者と散策を楽しむショッピング客でごった返している。それはこの国のどこでも見られる、ありきたりの都市風景かもしれない。今や日本中どこへ行っても皆同じになってしまったと、嘆くのは易い。しかし、そうした慨嘆は感性の欠如を自らさらけ出しているに等しい。たしかにこの国は近時、何処も均一化された。それは紛れもない事実である。しかしながら、一見均一の中にも必ずや地方色は存在する。均一の中から異色を見いだし、味わうことこそが『旅』の楽しみであり、真髄なのだ。
私は、地下街の壁や柱に無数に乱雑に貼られたポスターの中から、と、ある1枚に注目した。真ん中に、特大の文字で
チカンはアカン
と書いてある。その両側には中ぐらいの字で『チカンは犯罪やで』『見て見ぬふりのアンタも同罪やで』と、大阪弁のセンテンスが二つ並んでいる。気がつくと、同じポスターは街の至る所に、何枚も貼られていた。それは痴漢取締りの条例を周知する大阪府警/大阪市連名のポスターであった。どぎついまでに大阪弁まる出しのポスター。東京でも、どこでも、役所が、いや、役所でなくても誰でも、こんな直裁なポスターは作れはしまい。これぞ紛れもない大阪である。大阪以外の何ものでもない。
私は、計画の初心を貫き得た一定の達成感に加えて、旅の真髄に触れた歓びに満ち足りて、予約しておいた安宿に向かった。
これで第U部<Do>編は終ります。ご愛読、有難うございました。
連載はこのあとまだ続きます。第V部<See>にて、旅を反芻し、吟味し、そして『紙上再旅行』を試みます。
乞う、ご期待 --- 。