ベトナム旅行記 4
ベトナム旅行 9月10日 ホーチミン市
ホーチミンに着いてまず行きたかったところは戦争証跡博物館でした。屋外には弾痕も生々しい戦車や大砲、など武器が展示されていて若い旅行者たちはそばで記念写真などとっていましたが戦争を知っている私はとてもそんな気持ちにはなれませんでした。強烈な印象を受けたのは報道写真館でした。世界中のカメラマンが命を賭して写したたくさんの報道写真のなかには、日本で見たことのある悲惨なものからもっともっとひどいものまでぼう大な量でした。枯葉剤の影響を受けた胎児のホルマリンずけなどはとても正視することができませんでした。
この館の一角に日本のコーナーがあって、ベ平連のベトナム支援の活動が紹介されていました。大きな日の丸の旗に支援者たちの寄せ書きやサインがあって、活動の報道写真、出版物も展示されていました。ベ平連はベトナムの平和を願う多くの日本人の気持ちを彼らに伝え、彼らを勇気づけることが出来たのだと言う思いが頭をよぎりました。ここで私のもとの職場の友人が英訳した「ベトナムのダーちゃん」(早乙女勝元作)の本をみつけました。
子供たちの絵を展示した館には、戦争の絵が圧倒的に多いなかに家族団らんの絵やのどかな農村風景の絵もありました。子供たちを一日もはやく戦争の恐ろしさから救ってあげたいと願ってやみません。
ベトナム旅行 9月11日 メコンデルタ
08:30頼んでおいた車がきました。分離帯のない有料道路(ホーチミンを出てしばらくは分離帯があるがその先は一般道路になる)を飛ばして約3時間、デルタの町ミトーにつく。途中は美しい田園地帯で腰をかがめて働く農民の姿やのんびりと牛を引く人たちと出合ったり、その一方埃っぽい道路工事、住宅建設などが進行中で途上国の活気を感じました。
ミトーはメコン・デルタの町のひとつ、船着場に着くと手配しておいたガイドのサックさんが紹介されました。50才ぐらいの日本語のうまいベテランガイドで10年前にドライバーから転職した、4人の子供のお父さんでした。
私たち3人はここから船に乗って、チベットから延々4000キロを流れたきたメコンの大河に乗り入れました。川幅3,4キロ、深さ15メートル、潮の満ち干によって流れが変わるという非常にゆったりとした黄褐色の流れの中を中州に向かいます。川の中に網を張って棒で囲っただけの海老の養殖場は餌をやらなくても1ヶ月で成長し市場にだせる,干潮を利用して取り出せば簡単とか。行き交う観光船、漁民船、大きな運搬船、タンカーみんなちっぽけにみえました。
ここでサックさんが、浚渫船(しゅんせつ)の漢字を昨日覚えましたと、自分のノートを開いて見せました。これには驚き、まったく冷や汗ものでした。それは常用漢字にはないよ(覚えなくてもいいよ)、という言う勇気がなくなりましたね。
片方がミトーの町、一方が中州の両岸をはるかに望みながら,水深15メートル、川幅3,4キロの大河を遡り、中洲につくと今度は小さなボートに乗り換えいよいよ密林の探検です。マングローブやミズヤシ、カイの草が生い茂る狭い水路でヤシガニの横穴を見つけたりしながら島に上陸しました。私たちの上がった島は思ったより観光化されていて、島の人の手作りのヤシ飴やドライフルーツのお土産店が並んでおり、小さな食堂ではエレファント・フィッシュの丸揚げや果物の盛り合わせがたくさん出て食の欲の大満足でした。パパイヤ、ライチ、マンゴウ、竜眼、ドラゴン・フルーツ、ランプータン、ドリアンなどなど。生ものに注意など事前の心がまえはどこえやら、パクパクと食べてしまいました。
希望すればもっと原始的な体験のできる場所もあるのですが、私たちにはこれぐらいが丁度よかったとおもっています。泥沼、虫刺されなどの心配も杞憂に終わり快適なメコン・デルタのツアーを終えました。