担当:森 弘道
予想を遥かに超える大地震が最悪の場所で起ってしまいました。被災者の皆さまに心からお見舞いを申し上げます。被災者の支援、被災地の復興に尽力なさっている方々には頭が下がります。
心苦しいことですが、私は地震直後の一週間を、イタリア北部の山岳地帯ドロミテで過ごしました。恒例のヨーロッパアルプスのスキー旅行でした。この時期この稿を起こすことにいささか逡巡しましたが、国外から一旅行者が見た日本を、一断面ながらもレポートすることには何らかの意味があると信じて、これを書くこととしました。
ドロミテでも、有名なコルチナ・ダンペッツォやコルバラなどメジャーな観光地は、外国からの観光客も多く事情は異なりますが、今回私が滞在したのはファッサ谷の奥、ヴィーゴという小さな田舎村。テレビも、CNNとかBBCなどの英語チャネルは一つもなく、あるのはイタリア語とドイツ語(南チロル地方ですから)のみです。それでも、日本の地震は当地にとって大きなニュースで、終日、津波、原発の映像を流し続けていました。港に襲い掛かる津波、おもちゃのように流される無数の車、豊かな農地を飲み込む濁流、全体が水没した町や村など日を追って深刻さを増す被害の報道にただ息を呑むばかりでした。そして、数日後からは原発危機にニュースの中心は移り、深刻さが一層強く伝わってきました。
ここでは、私にとって映像は見えても言語情報がゼロなので、映像のみで想像するしかなく、じれったい毎日でした。多くの映像はNHKサテライトから引用されたものですから、時々日本語のタイトルやテロップが部分的にちらりと見えるので、それが頼りでした。時々菅総理や枝野官房長官、原発関係者も登場するのですが、完全吹き替えで日本語が全然聞こえません。話しかけられる天皇陛下のお姿も拝見しましたが、お声は聞けません。深刻な映像がたっぷりある中で、理解できる言葉は、”Giappone”、”Tsunami”、”Fukushima”くらい、言語情報がほぼゼロというのは本当にイリイリするところでした。「がんばれ!日本」と祈る以外、手も足も出ない心境でした。
北イタリアは日本同様地震の多いところですから、震災のニュースは大きな関心を呼んでいるようでした。ホテルの人や、スキー場であった人(英語で会話が出来た人)などは、皆私どもに見舞いの言葉をかけてくれました。上述のとおり震災についてTVも圧倒的に時間を割いて詳細に報道していました。原発については、イラストパネルなども用いてかなりの時間をとって解説していました(注)。
ヨーロッパ人は、かってチェルノブイリを経験しており、放射能には敏感で、ヨーロッパ系の航空会社の便は、問題の原発には近付かないとして、成田行きフライトは全て大阪行きあるいは名古屋行きへ切り替え、あるいは運休にしていたようです。私が利用したルフトハンザの場合、日本へ向かう便は全て一旦ソウルに立ち寄り、そこで乗務員を交代させ(大半がアジア系の乗務員へ)、給油もして、食事など物資も積み込んで、大阪あるいは名古屋へはトンボ返りですますようにしているようでした。私の帰国便が大きな影響を受けたのは言うまでもありません。
(注)これは帰国後知ったことですが、当時イタリアはチェルノブイリ以来廃止していた原発を再開発するかどうかの国民投票を控えていたそうです。日本の事故を受けて否定的な意見が大勢となり、政府は国民投票を中止し、再開発を断念したそうです(4月20日付毎日新聞)。
今日、緊急の震災支援には義援金を送るくらいが精一杯で、何のお手伝いもできず、自分の無力さを痛感しています。今後の根本的な復興には長い年月が必要です。これからが正念場。息の長い復興に、関心を薄れさせることなく、出来る限りの協力をして行かねばと考えています。
何と言っても、私たち国民にとって重たい問題は原発事故です。科学技術を過信して、コントロール不能のものを作ってしまったとは思いたくありません。世界の英知を集めて何とか解決できることを祈るばかりです。
次号の担当予定は、稲垣世話人です。
以 上